電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

地方の男・大正篇

すでにあちこちで指摘されているが、現在放送中の『花子とアン』に登場する、白蓮こと蓮子様と不倫の恋で結ばれた宮本龍一のモデル宮崎龍介は、上記の宮崎滔天の息子である。
滔天については一昨年にちょっと詳しく述べた。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20121231#p2
宮崎龍介は、親父が革命事業のためにつくった借金を背負わされつつ、父と同じく中華民国から逃れてきた革命家を匿ってやったりしていたという。
この龍介も含め『花子とアン』関連人物は、村岡花子自身も柳原白蓮も実物の方がいろいろ面白いのだが、脇役ながら目が離せないのが花子の兄・安東吉太郎だろう(史実上の村岡花子は一家離散状態で兄弟の消息はあまり伝わっていないというので、たぶんドラマオリジナルの要素が大きいと思われる)
基本的に劇中で主人公の花子の周囲は、田舎者なのに西洋かぶれの父親や都会の出版社や印刷所の人間など、リベラルで物わかりのよい都市的な近代主義者ばかりの中、あえて軍隊に入って憲兵となった兄の吉太郎は独自の重々しい存在感がある。
地方から上京してきた文系のオタクであるわたし自身は、どっちかといえば吉太郎よりも花子やその同僚の出版社の人間たちに近い。
だが、当時の農村では「田舎の若者が軍隊に入る」ということもまた、地方の土着的しがらみを離れ、「近代」に参加することだった。
花子が文学や翻訳の世界に飛び込むことで貧しい農村から自立したように、吉太郎もまた軍服と銃の世界に飛び込むことで貧しい農村から自立したのだ。
農家の子にとって、軍隊に入ることは、軍刀を与えられ「武士」になれることでもあった。
恐らく、吉太郎は軍隊に入って初めて軍服という洋服を着て革靴を履き、アルミの食器で軍の食堂でカレーライスなどの洋食を食べ、自分の家だけの田畑を耕すのではなく何千何万の同胞の兵員と訓練を共にすることで、狭い田舎村にとどまらない新しい世界が開けたはずだろう。
今後、『花子とアン』では、関東大震災と大戦という展開で、憲兵となった吉太郎が花子や蓮子&龍一を追い立てる側になるのかも知れない……。しかし、そのような役回りの人間もいることによって支えられてきたのが、日本の近代だったのである。