電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

2050年の妖怪

仕事とか関係ない身辺雑記をひとつ。
先日の深夜の2時頃、録画した『ジョジョの奇妙な冒険』を観ていたら、「コンコン」とドアを叩く音がする。扉を開けると大家さんが立っていて、ちょっと来てくれと言う。
大家さんは推定70代かと思われる女性で、二階建ての一軒家に一人暮らしだ。20メートルほど離れたその家まで来ると「一階の窓が開かない」と言う。
それで窓いじってみると、一応ガラス窓の部分は開いたが、その外側に雨戸がしっかり閉まっている。わたしはやんわりと「この寒いのに開ける必要は無いでしょう」と言いくるめて自宅に戻った。
続いて録画した『アイドルマスターシンデレラガールズ』を観ていたら、再び「コンコン」とドアを叩く音がする。また大家さんだ。
よく見るとこの寒空の下、靴を履かずに靴下のままアスファルトの道路を歩いて来た模様。しぶしぶ再び大家さん宅に行くと、今度は「二階の窓が開かない」と言う。
――じつはこの大家さん、おボケになられている。
わたしの部屋の前で夜中に物音がしていたので、推定60代と思われるわたしの隣室の住人も何ごとかと思って出てきた。それで事情を話すと、「ああ、以前はうちの部屋にも毎日のように来てたよ」と苦笑。
大家さんがおボケになられているということは、このアパートに入居する前、不動産屋からも聞いていた。それで実務的な手続きなどは、大家さんの隣家に住む推定50代と思われる娘さん夫妻が窓口になっていた。
大家さん宅の中は、おボケになられた方の一人暮らしにしては散らかっておらず、わりときれいだった。昼間に娘さん夫妻が面倒を見てやっているためなのであろうか。
とはいえ、すぐ隣家に娘とその婿が住んでいるにしても、二階建ての一戸建ての家に一人きりで住む姿は、いかにも寒々しい雰囲気だった。亡くなったご主人の書斎らしい部屋には、骨董品のような古い平凡社の百科事典などがガラス扉つきの本棚に整然と並び、いくつかの空き部屋には使われていない家具が放置されていた。
大家さんと一緒に二階に行って窓をいじると、とくに問題はなく窓は開いたので、やんわりと「寒いから閉めておきましょうよ」と言って降りた。すると今度は、部屋内の古着を取りだして「これ、捨てちゃおうかしら? いります?」と聞いてくる。
こちらがやんわりと「いやあ、わたしがもらってもサイズが合いませんし、それに女物ですし……」と言うと「じゃあ、捨てておいてください」と言って古着を押しつけられる。
さらに、仏壇の横にあった中身は空の小物入れの箱を手にして「これ、捨てちゃおうかしら? いります?」と聞いてくる。使い道はなさそうだがまだ美品なので、やんわりと「まだ使えるんじゃないですか」と答えた。
ほか、古新聞や古雑誌の束を指して「これ、捨てちゃおうかしら」と言うのだが、明日は古紙回収の曜日ではないと説得してもなかなか理解してくれない。
――ああ、めんどくさい。隣家の娘さんを呼ぶべきか? いや、娘さんにとっても、これ日常茶飯事なんだろうな、しょうがねえ……そんなことを考えながら、数分後にようやく大家さんから解放されたわたしは、無駄な古着を手にして自室に戻った。
続いて録画した『暗殺教室』を観ていたら、また「コンコン」と以下略。
このときわたしは、居留守を決め込むか寝たふりを示すため、部屋の電気を消して鍵をかけ、ヘッドホンをしてテレビを観ていた。自分で自分に「ヘッドホンをしていたから聞こえなかった」という言い訳を課そうとしたのだが、戸を叩く音は収まらない。
隣室への迷惑もあるので渋々ドアを開けると、さっき要らないと答えた空の小物入れの箱と、なぜか1980年代に刊行された手塚治虫監修の学習マンガ『世界の歴史』を数冊渡される。わたしがとりあえず受け取ると、大家さんは安心したように去っていった。
このあと、録画した『Gのレコンギスタ』を観たが、大家さんはもう来なかった。
それにしても、なぜ隣家の娘夫妻の所ではなく、20メートルばかりも離れたアパートに来るのか? 以前の住人で何かと大家さんの面倒を見てくれた人がいたのか? それともわたしのことをどこか遠くに行った息子か何かと間違えているのか?
おボケになられた人でも、おボケになられた人なりにその内面では合理的な根拠に基づいて行動しているのだろうが、実際のところはさっぱりわからない。要は「構って欲しい」ということなのだろうか。



さて、今回記したこの話、たまたま相手は大家さんだが、「自分の親がこんな状態だ」という人は日本各地でめずらしくもないだろう。
わたし自身は、老いた母親の面倒を地元にいる妹に押しつけている。それを思えば、この大家さんをウザいとは思いつつも、ムゲに扱えない気がしてしまう。
そして、わたしもうっかり長生きしてしまったら、この大家さんの姿が30年後、40年後の自分の姿ではないという保証はない。その暁には、夜中に「コンコン」と隣家の住人のドアを叩き、なぜか2000年代に刊行されたFateだの東方だのの同人誌を渡して去って行く怪老人になるのであろうか……。その時代の中野区の若者には新手の妖怪みたいだろうな。