電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

宗教の分類は教義より信仰の実践形式

熊本震災の発生以降、また過剰な「不謹慎狩り」が続いているようだが、幸福の科学地震便乗商売はもうちょっと批判されていいだろう。
http://togetter.com/li/963539
大川君にとっては、人がばんばん死ぬ災害も自説を宣伝する利用素材でしかないらしい。地震が起きて喜んでる反原発厨を非難する人は、同じように大川君のことも非難しなくては不公平ではないか。
ネット上では幸福の科学に対する批判も多いが、その中でよく目にするのが「オウムと同じカルト」という物言いである。だが、同じカルト宗教でもオウム真理教幸福の科学創価学会は大きく異なる。同じく人体に有害な病原菌でも、エボラ出血熱エイズウイルスでは対処法もぜんぜん異なるのだ。そこはきちんと見きわめなければならない。

「日本は多神教ゆえ寛容」という認識の浅さ

宗教の分類で重要な点は、教義内容もさることながら「信仰の実践形式」である。たとえば、イスラム教の大きな特徴は、飲酒や豚肉食などを禁じたり、毎日決まった回数メッカの方角に礼拝するといった戒律に支えられた習慣だ。
だが、じつは大乗仏教の在家信徒にだって、本来はちゃんと戒律があり、イスラム教と同じく飲酒は禁じられているのだ。さらに、同じ大乗仏教でも宗派ごとに信仰の実践方法は異なる。例を挙げると、浄土宗系なら念仏、禅宗系ならば座禅修行といった具合だ。
これに対し、日本の神道は明確な経典もない自然発生的な信仰だから、戒律などなく「ゆるい」宗教と認識されがちだ。ところが、神道だって本来は、禊だの祓いだの生活習慣と密接な行事がたくさんあり、古代や中世には人柱や殉死の風習だってあった。
もともと神道とは、豊作祈願や収穫祝いなど農耕儀礼と深い関係にあるが、戦後の日本では産業構造の変化によって土着の農村共同体が解体された結果、神道の習慣が形骸化しただけの話だ(これはエマニュエル・トッドも『シャルリとは誰か?』(isbn:4166610546)の冒頭部分で指摘している)。
たまに、イスラム原理主義などと比較して「日本は多神教ゆえ寛容」などと言う人がいるが、重要なのは一神教多神教かといった教義内容よりも、身体を動かす宗教的習慣が形骸化しているかいないかの違いだろう。

高学歴インテリがオウムに引っかかったワケ

では、先に挙げた3つの宗教団体のおもな信仰実践の手法を比較するとこうなる。

まず、オウム真理教の信仰実践は、ヨガなどによる神秘体験が大きな要素だった。この神秘体験とやら、実際にはドラッグも使用していたというが、麻原こと松本智津夫鍼灸師としての東洋医学知識が反映されている。
地下鉄サリン事件が起きた1995年当時、オウムでは上祐史浩青山吉伸など、一流の高学歴エリートが幹部を務めていた点が大いに不思議に思われた。これは、いくら書物から得た学識のある人間でも、こと身体に関しては抜け穴だったからだろう(当時、橋本治もこのようなことを述べていた筈だ)。
いわば、将棋に関しては一流の名人が、まったく異なる競技である柔道の達人に敗れて、相手に心服してしまったようなものだ。一時は、1980年代に一世を風靡した宗教人類学者の中沢新一のような大インテリまで、うっかりオウムの理解者になっていた。
一方、幸福の科学の信仰実践は、大川による偉人の霊言やら宇宙の構造やらについての本を大量に読んでお勉強し、試験で良い点数を取ると教団内で階位が昇進するというものだ。いかにも「東大卒」が売りの教祖らしい発想である。
一見してオウム真理教よりも幸福の科学の方が学校秀才を惹きつけそうだし、実際さすがに幹部クラスの学歴は高い。しかし、わたしの持論を言えば、中沢新一のような大インテリが支持者になるとは思えない。
何しろ、大川隆法の霊言本に出てくる偉人は中学校の教科書レベルで、たとえば、カール・シュミットの霊言集とか、ハンナ・アーレントの霊言集とか、ミッシェル・フーコーの霊言集なんてものは絶対に出さない。明治天皇の霊言本では「睦仁です」ではなく「明治です」と名乗っているぐらいだから、まともな学識のある人間なら相手にしないだろう。
幸福の科学に惹かれるのは、受験勉強は得意だが応用力や創造性のない二流の優等生か、知的コンプレックスのある奴ではないだろうか。
つまり、幸福の科学とは、大川隆法の本だけ読んでいれば世の中の真理が全部わかった気になれて、まわりの人間よりエラくなった気分になれるという、早上がりの「世界観」を提供してくれるシステムなのだ。ま、かつての「ヘーゲル思想」とか「マルクス主義」とか「ポスト構造主義」とか、みんなそういうものとして消費されてきたんだけどね。
大川の著作の内容は薄いが、おかげで100冊でも200冊でも簡単に読めるから、冊数を多く読破したという達成感だけは得られる。ただし、それゆえの波及力の広さだからバカにできない。もし本当に、大真面目にカール・シュミットハンナ・アーレントの分厚い霊言本を出すような団体だったら、信徒数は数千人どまりだろうw

幸福の科学創価学会に勝てない?

ただし、それでも幸福実現党はちっとも公明党に匹敵する議席を得られない。幸福の科学の「公称」会員数は1000万人だというが、得票数から推定できる確実な会員数は10〜20万人らしい。では、公明党の背後にいる創価学会の強さとは何か?
創価学会の信仰実践は、基本的に、みんなで集まって「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えるだけである。超かんたんだ。だが、この簡単さこそあなどれない。
お題目を唱えるだけなら、低学歴のブルーカラー層でも、おじいちゃんやおばあちゃんでも容易だ。そうしてお題目を唱える集会に来た信徒同士は「お前の商売最近はどうだい?」「お前の家の母ちゃんの病気は良くなかったかい?」などと近況報告をし合ったり、信徒の横のつながりによって生活上の問題について助け合ったりしている。
戦後の高度経済成長期、農村から都市部に流入してきた新しい第二次産業第三次産業従者たちの間で、創価学会が地縁・血縁共同体の代わりを果たしたという指摘は定番だ。
創価学会は「ご町内共同体の結束」に近いものを身につけている。これに比較すれば、お勉強エリート主義の幸福の科学は、地縁や血縁に食い込めない個人主義の集団だから、世帯や地域を巻き込む力がないと見なして良いだろう。こんな事件が起きてるぐらいだし。
ただし、創価学会だって今後は世代交代が進めばしだいに求心力が低下することは避けられまい。ちなみに、今の自民党政権創価学会とならんで頼りにしているのが神道政治連盟だ。伝統的な神道は、幸福の科学に比較すれば、まだしも地縁血縁の世間に食い込んでるといえる。それだけ票田としての力があるわけだ。