電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

くり返されるよくあるはなし

熊本での地震発生後、予想通り「被災地で朝鮮人が以下略」デマが発生したという。
ハイハイ、5年前の東日本大震災の時もありましたね、「中国人や韓国人が被災地で物資略奪」系デマ。
それで当人の主観では善意100%のまま裏取りもせずツイッターの内容を受けて現地警察に通報する「無能な働き者」が続発。
福岡県在住のわたしの高校の先輩まで被災地の警察に電話しましたよ。電話口に出た担当者は、ウンザリ口調で「それ朝からXX件目ですよ…」とか答えたそうで。
はっきり言っときますが、この手のデマ拡散は警察や消防の業務の妨害になりますからね。警察や消防に無駄手間かけさせればそれだけ被災者救助は立ち遅れるわけです。
――でまあ、デマへの批判が広まったら今度は「差別者を告発したい側の自作自演」って言い逃れが出てくるところまでテンプレ。
以前も述べたが、陰謀論は願望論である。「被災地で朝鮮人が以下略」デマがなくならないのは、「本当にそういうことが起きたらないいな」という願望があるからだろう。
そうなれば大手を振って正義ヅラで自分の嫌いな相手を叩けるのだから。
右派の人間は「反原発厨のサヨク原発事故が起きるのを願望してる」とか「原発事故が起きて喜んでる」とか言う。まあいるだろうね、そういう人。
でも、右派の人間だって罪もないチベット人中共に殺されるたびに、本音じゃ「やった! 中国を批判できるネタができた♪」と喜んでるとしか思えない。
逆に在特会などの排外主義団体を批判する人々は「彼らを野放しにして本当に在日外国人の殺害事件とかを起こしたらどうするんです?」と言うが、本当にそんな事件が起きれば今度こそ世間の普通の一般人は彼らに対してドン引きだ。排外主義団体もさすがにそれはわかっているようでそうそうそこまでの愚は犯さない。

敵失を待つという発想では永久に勝てない

「敵が悪事を犯して欲しい」というゲスな感情は、わたしもよぉーくわかる。
かつて、1999年に針生勇雄という男が幼児を殺して逮捕されたが、このときわたしは大喜びした。当時の『週刊文春』の記事によれば、この針生は「マルチ商法みたいなもの」に関わっていて「24時間風呂」を売っていたそうだ。
その前年、わたしは「リバティコープ」というネットワークビジネス団体に1日付き合わされて死ぬほどうんざりさせられたが、この団体も「24時間風呂」を売っていた。
彼らは高級車高級ブランド品まみれのオシャレでイケてる勝ち組リア充集団で、当時のわたしは、世間の多数派が彼らと貧乏でネクラのオタクでしかも前科者の自分のどっちに味方するかと言えば、絶望的に自分が不利と思い込んでいた。ところが、「24時間風呂を売るマルチ販売員」が幼児殺しで逮捕されたと報道され、わたしは「何だあいつらも汚れた犯罪者じゃないか」と、心の底から救われた気分になったのだ。
だが、針生という男によって罪もない幼児が殺されているのである。こんなことで喜ぶのはまったく恥ずべきことだ。思い返しても当時のわたしは本当に醜い(←今も)。
それから数年後、見ず知らずの人から、旧「リバティコープ」残党の作った組織に知人が勧誘されて困っているという相談を受けた。その方にはいろいろ自分の知っていた話を教えたが、「リバティコープ」幹部がドラッグパーティをやっていたらしいという噂があったと述べたら、非常に食いついてきた。
その方はそこがまさに「あいつらは犯罪集団」という叩き所になると思われたようだが、組織の幹部の言いなりになっている人間に「あいつらは犯罪者だ」と言っても効果は乏しい。なぜなら、たとえ経営者や教組が犯罪者でも、組織の信者的会員になっている人にとって、その経営者や教組は「魅力的」だからだ。
一切法律を犯さないけど何の魅力もない男と、ワルだけど魅力のある男なら、魅力的なワルの方についてゆく女性はいくらでもいる。魅力と善悪は関係ない。
敵がゲス犯罪者であって欲しいなどと願っている限り、その敵には永久に勝てない。必要なのは敵を貶めることではなく、自分の意見の方が支持されるよう自分が魅力的になることだ。
そりゃ、自分が魅力的になるのには努力が必要だけど、デマを使ってまでただ敵を貶めるだけなら楽だからねえ。まさに成長する気のない怠惰な人間の発想だろう、針生勇雄の逮捕を喜んだ当時のわたしと同じように。