電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

周回遅れの最先端

私はとんねるずが好きなんだけど嫌いな人や批判してる人が何をいけないと言ってるのかすごくよくわかる - id:lisagasu - lisagasu - はてなハイク
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とんねるず自体に対しては、「いまだにバブル時代のギャグがウケると思ってんのかよw」という感想しかない。
わたしは、まさに上記の方がお書きになっている理由でとんねるずが嫌いだった。本物の勝ち組リア充は、とんねるずみたいに必死に「見ろ! 俺たちこそ明るく、イケてる」というノリの強要なんかしないし、異端・ネクラ叩きで笑いを取ることもしない、勝ち組リア充だけの世界で閉じて自足してるからだ。かつて和光大卒の小山田圭吾は楽しげにいじめ自慢を語ったが、東大卒の小沢健二はそんなことはしなかった。
それはさておき、今回の件で噴出した「昔は良かった。今みたいにLGBTだの何だの配慮していては、あらゆるお笑いが成立しなくなるぞ」と、これまた狼が来た少年のように語るご意見には「そうかあ?」と感じる。
古典落語には、盲人を扱った『心眼』など、障害のある人間をネタにした噺がたまにある。『藪入り』など男色や衆道の要素が出てくる噺もあるが、男色や衆道自体を笑い物にした噺なんてあったっけ? 当方は寡聞にして知らない。
東海道中膝栗毛』の主人公の弥次さんと喜多さんは、男色関係だとWikipediaにもハッキリ書いてある。『好色一代男』の主人公は男女両刀使いであった。近代以前の大衆文化ではゲイは何ら珍しいものではなかったのだ。日本においては「ホモは嘲笑すべき対象である」という発想こそ、むしろ近代以降の新しい思考ではないのか?
ゲイを笑い物にするのは欧米に遅れているから恥ずかしいのではない、昔は存在しなかった一時の流行り物にしがみついているのが恥ずかしいのではないか。