電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

「炎上うぜえ」「俺個人の自由な時間の方が大事」と思うあまりSNSで発言しなくなって久しいが、とりあえず習慣で年に1度の更新。
■2020年最後の挨拶とか年間ベストとか
ひとまず本年触れたもろもろの年間ベスト。
■1.(とくになし)
本年は「とくになし」です(東日本大震災の2011年も同じだったな)。無駄に時間ができて触れた書物や映像作品などは多かったけど、コロナ禍の現実の印象に勝るものが挙げられない。我ながら想像力貧困だ。
■2.漫画『へうげもの山田芳裕
https://www.amazon.co.jp/dp/4063724875
過去につい途中で読むのを中断したまま、2018年に完結の報を聞いて「頭から読み返すぞ」と決意したまま、うっかり2年経ってしまった。
通読して、漫画的見せ方が本当にうまい作品だったと実感。今さら気づいたが、本能寺で織田信長がまっぷたつにされる名シーン、千利休による陰謀の告白など、「ここぞ」という場面には擬音がない。その結果、止め絵の迫力が効果倍増(ギャグの効果も)。
高山右近南蛮人から手に入れたレオナルド・ダヴィンチの飛行機械が、回りめぐって大坂の陣真田幸村に使われるなど、数々の奇想も山田風太郎に匹敵。風太郎は、卓越した鉱山技術者の大久保長安を「近代を先取りしたマッドサイエンティスト」と解釈したが、同じ山田でも芳裕の方は「近代を先取りした金融資本家」と解釈したのも絶妙。
劇中で古田織部は、江戸幕府の成立後も心情的に豊臣家を支持しながら、保身と俗欲のため正面から家康に逆らおうとせず、さりとて戦場に立とうともせず、文化事業が自分の仕事と割り切る。そして、芝居、絵画、窯業、茶道といった文化事業のなかでも、自分の本領は人を笑わせて争いを回避することだと見定め、それを徹底する(人を嘲笑して優越感を得るための笑いではなく、古田織部はみずからも道化を演じる)。
旧年中、映画『i 新聞記者ドキュメント』(https://i-shimbunkisha.jp/)の終盤で、熱狂的な自民党政権支持者のデモ隊とアンチ安倍のデモ隊が罵り合う場面で、大真面目に自分の正義を信じて疑わない人間同士がつくり出す空気のギスギス感に耐えがたく、「もし俺がこの場にいたら、いきなり全裸になって『ちんぴょろすぽーん』と叫んでやりたい」……などと阿呆なことを考えたが、古田織部の生き様を見て、こういう発想が間違ってないと確信した(←違う)
■3.小説『明治開化 安吾捕物帖』坂口安吾
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/card43204.html
勝海舟狂言回しにした連作ミステリ(先ごろNHKでドラマ化された)。劇中の時代設定は明治20年(1887年)ごろで、じつは『シャーロック・ホームズ』シリーズが書かれたのとほぼ同時期。
本作はもちろんフィクションながら、明治という時代が持っていた文化、風俗、社会階層の多様性、それらが生みだす軋轢への想像力に圧倒される。
各話のモチーフは、政商と西洋列強の癒着、没落大名と新興商人の格差婚、らい病差別、横浜居留地の外国人による詐欺商売、幼少期から商家に住み込む田舎出の丁稚に女中、神がかりの新興宗教(幕末~明治期は黒住教とか天理教とか沢山あった)、浅草の芸人と西洋仕込みの新劇関係者、町奴に鳶職、大陸浪人、南洋での真珠採取、按摩の家元(盲人ができる唯一の商売で徒弟制だしギルドもある)、新平民(被差別部落出身者)の解放と身分違いの恋……etcetc これらもまた等身大の明治史の一面。たぶん安吾は犯行のトリック考えるより、これら明治期特有の人間関係のドラマを考えるのが本当に楽しかったんじゃないのか。
本書が執筆された昭和20年代と劇中の明治20年代は約70年の時間差、奇しくも本書が執筆された時期と現在の時間差に近い。安吾は本作の執筆にあたり、自分が体験した戦前と戦後の文化や価値観の断絶を、明治維新前後の断絶に重ねたといわれる。そんな本書の発展形として、山田風太郎の『警視庁草紙』が生まれたのも感慨深い。
■4.ノンフィクション『銃・病原菌・鉄』ジャレド・ダイアモンド
https://www.amazon.co.jp/dp/4794218788
仕事のため10年以上も前のベストセラーを今さら通読。「農耕民より狩猟民の方が戦争に強そうなのに、なぜ世界のどこでも狩猟民は征服されたのか?」という10代のころからの疑問が氷解。狩猟民は基本的な小規模な集団だが、農耕で食料供給が安定すれば人口が増えて兵力も増すし、一定の人口がなければ社会的分業は成立せず、軍事が専業の武人階級も生まれないのか……。
本年の課題に関する部分では、歴史上の感染症の多くは家畜から人間に感染しており(インフルエンザは豚、天然痘は牛、マラリアは家禽が由来)、南北アメリカ大陸の先住民はほとんど家畜を持たなかったので、白人が持ち込んだ感染症への免疫がなかった――という話が印象深い。この理屈にしたがえば、現代でも中東のイスラム圏は豚由来の感染症に対する免疫がかなり弱いんじゃないのか。
■5.ノンフィクション『PUFFと怪獣倶楽部の時代』中島紳介
https://www.amazon.co.jp/dp/4860721594/
1970~80年代の初期特撮ライターたちの一代記。自分はまさに、本書の著者や、その盟友の富沢雅彦、竹内博(酒井敏夫)、聖咲奇らが関わっていたケイブンシャ怪獣図鑑だの、季刊のSF特撮専門誌『宇宙船』でオタク人生にはまり込んだ世代だ。
1971年に刊行された『原色怪獣怪人大百科』の編集には無名時代の佐野眞一も参加していた(106p)、1979年刊行の『大特撮』編集時は、東宝映画の『日本誕生』を見たことのある者がいなかったので、開田裕治が東京まで行って京橋フィルムセンターで見てきた内容を伝えて執筆した(350p)など、意外なエピソードが山盛りである。
21世紀の現在、「特撮オタク」を自称するとヒーロー好きと思われそうだが、彼ら初期特撮オタクは「怪獣オタク」であった。1954年の初代『ゴジラ』から、1966年に初代『ウルトラマン』が放送されるまで、怪獣そのものが主役の時代があり、本書に登場する1950年代生まれの初期オタクの多くはその時期に自己形成した世代だったからだ。
本書で改めて痛感したが、たかが怪獣オタクと言えど、彼らはやはり文化資産に恵まれたエリートだったんだなあと思わざるを得ない。何しろ『PUFF』同人メンバーの多くは東京都内かその近隣の首都圏在住で、親類に映画業界関係者がいて撮影所に子供の頃から出入りしていたとか、小学生の頃から名画座でジャンルを問わず昔の映画を観まくっていたとかいう話が普通に出てくる。途中で地方から上京してきた田舎者が新たに仲間に加わったりはしない(この点は、地方出身・大学デビュー組の初期オタククリエイター群像を描いた島本和彦の『アオイホノオ』と好対照)――そういう面も含めて、第一級の歴史民俗資料といえるだろう。
■6.ノンフィクション『全世界史』出口治明
https://www.amazon.co.jp/dp/4101207720
これも仕事のため急いで読了。何を今さらだが、人類史5000年間で、西洋文明の優位はホンの200年ほどだったという話。
たとえば、紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の東方遠征は、すでにペルシア帝国が築いていた交通網を利用しただけ説(文庫上巻76p)。10世紀の段階で科挙という血筋や家柄ではなく学力による官吏登用システムを確立した宋は、間違いなく当時の世界最先端の国家だった説(文庫上巻250p)。イギリスの経済学者アンガス・マディソンの推計データでは、1700年当時、イギリスは世界のGDPの約3%、フランスは約6%、オスマン・トルコ帝国は約8%を占めるなか、清はじつに22%を占めたとの話(文庫下巻177p)。
つい先ごろも「2028年には中国のGDPアメリカを追い抜く」(https://www.bbc.com/japanese/55457085)なんて報道があった。これを一笑に付すのはたやすいが、1000年スパンの思考では「単に17世紀以前の力量差に戻っただけ」と解釈することだってできるのだ。
■7.漫画『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと
https://rasenjin.hatenablog.com/entry/2020/02/01/034814
本作品は英雄物語ではない。単なるルポにも留まらず、戦時下に従軍した女性というある時代状況下・環境下の生活史に撤したナマの証言集だ。強いて言えば民俗学であろう。言うてみれば宮本常一の『忘れられた日本人』を漫画化したのと同じ。
劇中、戦後も誇らしげに愛国心を誇らしげに語る女たちを「あんなクソみたいな独裁者スターリンの言いなりになってw」と嘲笑うのはたやすいが、悔しいけど旧ソ連戦勝国である、そら堂々とした態度だろうさ。だが、たとえば黒澤明が戦時中に撮った『一番美しく』なんぞを観れば、最前線の戦場ではなく勤労動員の現場ながらも、日本でも戦時下では若い娘が「こんな私たちでもお国の役に立てるんだ!」と、愛国心に燃えて一致団結する現場があったことがわかる。
同じころアメリカでは、大量の先住民や黒人が軍に参加することで地位向上を果たした。こうして女子供や先住民族もまた、戦争を通じて、マジョリティに従属するだけに身分ではなく一人前の国家構成員となったのが、良くも悪くも「近代」の一側面。
■8.ノンフィクション『夜明けあと』星新一
https://www.amazon.co.jp/dp/4101098492
幕末~明治期の新聞記事スクラップ集。慶応4年(1868年)の『中外新報』記事によれば、コレラ流行下で、栓に使うコルクを焼いて飲むと治るとの流言。この手の疫病デマ、本当に昔も今も変わらず。明治10年(1877年)の『東京日日新聞』記事によれば、西南戦争帰りはモテるので花街で負傷兵を装う者が続出。明治22年(1889年)の『都新聞』記事によれば、物乞いなどに幼児を貸す商法が流行。明治26年1893年)の『東京日日新聞』記事によれば、内務省が「楠木正成の子孫は名乗り出よ」と布告したら、50人が名乗り出たがいずれも本物か怪しかったとの話。明治45年(1912年)の『萬朝報』記事によれば、紡績工場の女子労働者から「1日18時間労働はつらい」と67通の投書あり。
こうした王侯貴族とも英雄とも無関係なしょーもないディテールもまた、歴史の重要な一側面。戦前の日本人はみんな聖人君子だったとか大ウソっすよ。
■9.ノンフィクション『東條英機 「独裁者」を演じた男』一ノ瀬俊也
https://www.amazon.co.jp/dp/4166612735
「東條は早期から空軍力に着目」「開戦時の東條は庶民派イメージで国民に人気」など、従来の東條英機のイメージの刷新をはかった一冊。
序盤、明治末期の1912年、東條英機の父親の東条英教中将が、雑誌『新公論』の誌上で西本国之輔大尉と論争した話(22-24p)が興味深い。現役軍人が自由に雑誌で意見を述べられたのも当時ならではだが、階級が下の者が堂々と将官と誌上論争できた背景には、日露戦争後に広まったデモクラシーの空気(末端兵士の発言力の拡大)があったという。上記『戦争は女の顔をしていない』で述べたのと同じ図式。
先に触れた黒澤明の映画『一番美しく』で描かれたように、東條は国民総力戦体制を整備したが、成人女性の勤労動員には一貫して反対していたという。東條の男女観は保守的で、WW1末期のドイツのように国民の不満が反転したり、動員された女性労働者が権利主張を始めるのを恐れていたそうだ(320p)
大戦末期、近衛文麿らは「国民が納得しないので」、和平交渉の前に艦隊決戦を主張したが、これは「敵米英よりもむしろ自国民のほうを恐れていた」からだという(300p)。
本書の第四章を通して読むと、結局東條は、アメリカが要求する中国大陸からの撤兵を認めようにも、お仲間の陸軍将兵と国民が納得してくれないと考え、日米開戦に踏み切ったらしい。つまり、じつは東條も、果断さではなくむしろ優柔不断さゆえに開戦を選択したわけである。近衛文麿ばかりか東條も優柔不断だったとなれば、当時の日本に本当に果断な指導者などいたのか? 「『空気読め』の国」らしい話である。
■10.国立科学博物館 特別展『ミイラ』
https://www.museum.or.jp/event/93496
展示物は死体ばっかりだが、意外に女性客が多数。古代エジプトのファラオの棺の内側を初めて見たが、華やかな装飾に彩られ、死後の世界に極楽浄土のような明るいイメージを抱いてたのがうかがえる。あと、遺体の保存にはいろんな薬品や香料を用いたようだが、アルコールは使ってなかったと知る。南米では遺骸がしゃがんだ姿勢だが、古代エジプトは直立不動、日本の即身仏は座禅しているなど、文化圏によって埋葬のポーズが異なるのは興味深い。帰りに上野公園の野口英世像に疫病退散を祈願したが、当人も病魔に倒れてしまった野口じゃ力が足りんかったか。
■列外.TVアニメ『赤毛のアン』再放送
■列外.TVアニメ『未来少年コナン』再放送
■列外.TVドラマ『仮面ライダー』再放送
本年の予想外の収穫といえそうなのがテレビ放送の穴を埋めるための各種の再放送。
赤毛のアン』の序盤、風景や草木にいちいち詩的な名前をつけるアンの姿に、今さら「宮沢賢治ってこういう人だったんかなあ」などと妄想。くだらない想像力は人との軋轢も生むが日常を豊かにもする。宮崎アニメの魅力といえばやたらヒロインが挙げられるが、『未来少年コナン』の痛快さは、コナンとジムシー、ダイスの男同士の掛け合いにあったと再認識。初代『仮面ライダー』は、高度経済成長期も末期な1971~72年の風景(赤土むき出しの造成地、建設中で放置された団地、舗装されてない野外の道路)がもはや民俗資料。改めて見返すと、2号ライダー編で山本リンダが「困っちゃうな♪」と言っていたり、当時から東映らしいメタ的お遊びがうかがえる。どうでもいいが、本郷猛の「ライダ~、変身」を「ライタ~、貧困」と変えたら俺じゃ。
■鬼の威を借るネオリベ論者
世間の『鬼滅の刃』ブームとほぼ関係ないが、本作がきっかけで思い至った話。
鬼滅の劇中で上弦の鬼・猗窩座は、主人公の炭治郎相手に「弱者は淘汰されるべきだ」式の俗流ネオリベ論者みたいなことをドヤ顔で語る。俺はこの手の「世の中は弱肉強食だ」と言いたがる人士には食傷してるのだが、それは「大人の中二病」臭がするからである。子供の中二病は非現実的な背伸びの格好つけだが、大人の中二病は「俺こそ現実がわかってる。お前らはお花畑の理想主義者」という顔をするからたちが悪い。
この手の「世の中は焼肉定食だ」論者はたいてい、それが神の定めた自然の摂理だとか、世の中はそう決まっているとか、疑似科学俗流進化論・社会ダーウィニズム)だの、自分より大きな権威を論拠にしてものを言う。ここがうさん臭い。たとえば「”俺は”弱者は淘汰される世の中であるべきだと思う」とか「”俺は”弱者を淘汰したい」と、そいつ個人の意見として言ってるなら、共感するかどうかは別として、欺瞞は感じないのだが。
――確かに自然界は弱肉強食が基本かもしれないが、現実には、世界の海からイワシが絶滅して鮫だけになることはなく、青虫が絶滅してカマキリだけになることもなく、奴隷や農民が死に絶えて王侯貴族だけの国が実現することもない。
世の中には、なんとなく強い者もいれば弱い者もいる。強者に捕食される弱者は大勢いるが、なぜか捕食されず生きのびてしまう者”も”多数いる。良いことでも悪いことでもなく、それが事実現象としての「現実」なのである。
世の中は自由競争で焼肉定食だと力説したがる自称現実主義者は、「人はみな平等であるべき」という理想主義の欺瞞を非難したいのだろうけれど、逆に、常にすべて自由競争で弱肉強食になるとは限らないのもまた現実なのである。
だから、反対に「我こそ弱者、みんな俺に同情しろ」しか言わない人士もまた、状況次第では自分が人を踏みつける側になってるかもしれないという想像力を持って欲しい。
■本年、書き落としたことなど
●1970年生まれなので、今年で50歳になる。自分が10代のころ(1980年代)から見て「50年前」は戦前だった。2000年から見ての1950年は、まだマッカーサー元帥がいた戦後の占領期で、テレビ放送(1953年)も始まっていなかったし、鉄腕アトムゴジラもいなかった。しかし、1970年にはすでに、ほんどの世帯にカラーテレビがあり、『ウルトラマン』や『サザエさん』が放送され、漫画誌には『あしたのジョー』や『巨人の星』が連載されていた時期だ。そう考えると、1970年はあんまり昔に感じない――などというのが老害の感覚なんだろうな。ま、ネットと携帯端末がある生活(これが確立されたのは1990年後期)が普通の平成生まれからすれば、1970年はとんでもない太古であろう。
●良い意味でも悪い意味でもドナルド・トランプにはカリスマ性がある。カリスマとは、それを支持する者たちの方が勝手に見いだすものである。
アメリカでBLM(Black Lives Matter)に関連する暴動が多発した時期、「アメリカ白人男性にだけは同情するが、同じアジア人、日本国内の女子供には同情しない人たち」(日本のリベラル派を逆にしただけ)が、「そら見ろ黒んぼ共は凶暴だ、人種差別反対とか言ってる奴らはクソだ」大喜びし、逆に日本のリベラル派は「BLMの趣旨には賛同するが暴動は共感しない」などとヌルいことを言っていた。
どっちも浅い。「人間ブチ切れればそんぐらいやるさ」って話っすよ。日本でも終戦直後にはメーデーで食糧暴動が起きたし、1960~70年代の大阪の西成では例年のように暴動が起きてたではないか。「そんなのは反日左翼だけで、日本人の大多数は品行方正だ」だって? 1905年に日露戦争が集結した直後には「ロシアから賠償金を取れ! さもなくば戦争を再開しろ!」と”愛国的”な理由で大暴動が起きて、ぜんぜん関係ない市電も焼き討ちされた。右の人士も左の人士も、群集心理の暴走を他人事と思ってはいけない。
●本年、コロナ禍に関連して1918~1920年スペイン風邪があちこちで引き合いに出されたが、一個人的に驚いた事実。高校世界史の用語集としてロングセラーの『世界史B 資料集』(山川出版社)には、なんと「スペイン風邪」の項目がない!! (「黒死病」の項目はあるのに)。世界人口が20億人の時代に推計2000~5000万人が死んだ災厄でも、その前後に起きた第1次世界大戦や世界恐慌の規模に比べれば、受験知識としては覚える必要のない事象と見なされているのである。22世紀には「コロナウイルス? ええと、そんなのあったね」という扱いになっている可能性とて、ありえない話ではない。
■回顧と展望
また備忘録のように本年やった仕事の一部を列記。
『10の感染症からよむ世界史』(https://www.amazon.co.jp/dp/453219993X
ペスト、天然痘、黄熱などの項目を担当。活版印刷の普及とカトリック教会の失墜はペストによってもたらされ、結核療養所は鉄道の普及とともにヨーロッパに観光ブームを広め、マラリア治療薬のキニーネ利権はその原産国であるインドネシアの戦後政治をも左右した。当方担当ではないが、コレラの項目などで取りあげたニセ薬やインチキ治療法の話はまるきり現代と変わらない。14世紀の黒死病時代は約半世紀も続いたが、その間ただ人が死にまくっただけでもない。厄災の下でも人々は日々、飲み食いしたり異性といちゃつき、ルネサンス文化の発端が開かれた。コロナ禍でも長期戦の思考が必要と痛感する。
『真説日本史ミステリー 地図帳で明かす天皇家の謎100』(https://www.amazon.co.jp/dp/4299009959
風水都市の藤原京、なぜか楊貴妃の墓がある熱田神宮、地下に秘密基地があると噂される国立昭和記念公園など、天皇家に関連する歴史的スポットを紹介。古墳時代平安時代と明治以降に話が偏るのを防ごうとしたら、後醍醐天皇関連の南北朝ネタが多くなった。
『絶景×神社 美しすぎる日本の「聖地」完全ガイド』(https://tkj.jp/book/?cd=TD012517
住吉大社伊勢神宮熊野三山大神神社など畿内とその周辺を担当。コロナ禍で実際には参拝できない人を想定して、判型が大きく美麗な写真を贅沢に使ってます。
『一冊でわかる中国史』(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309811062/
唐代から中華人民共和国まで、全体の約2/3を担当。中高生が想定読者の本ですが、モンゴル族元朝満洲族清朝の違いは何か、朱子学が日本の勤皇運動に与えた影響、宮崎滔天頭山満辛亥革命支援などなど、教科書的記述を補う視点も多く織り込みました。
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自分はもとより自宅が仕事場の生活を続けているので、本年は驚くほど生活の直接的な変化は乏しかった。最大の影響と言えば、2019年秋から半年以上かけて文庫一冊分書いていた仕事が無期限延期になったぐらい(2020年東京五輪に関連する要素などが入っていたので)。年収も落ちたが、昨年に改元景気で9刷まで行った『元号でたどる日本史』の印税収入とほとんど相殺だ。
何しろ50歳であるから人生の残りはよくて約20年である。とはいえ、こちとら小学生の頃からさんざん「1999年にはノストラダスムの大予言が~」「米ソ核戦争の危機が~」と吹き込まれ、ついぞ何も起きないまま冷戦時代は終わって21世紀を迎え、2001年の911テロも2011年の東日本大震災も、あれだけ世界が大騒ぎしても自分個人には何の影響もなかった世代である。ま、中世の黒死病時代にもスペイン風邪の時代にもこんな奴はゴロゴロしてただろう。世相がどうあろうが、こっちは勝手にしぶとく生きのびるつもりです。
それでは皆様、よいお年を。

追悼に代えて

かつて、2005年6月に雑誌『TONR』第2号(https://www.fujisan.co.jp/product/1281681338/b/85569/)の特集記事のため、脚本家・上原正三氏の取材に行ったときのエントリからいくつか再録。

■上原インタビューこぼれ話少々
・『TONE』第2号の特集タイトルは当所「日本の戦争」だった。
そんで力の入った取材企画書と取材依頼文を書いたのだが、円谷プロ経由で依頼を受けてくださった上原氏は、取材当日の最初のお言葉が「今日は何の取材ですか? ウルトラマンのお話ですか?」でした(苦笑)。
・身内の絆を絶対とするような作品を多く書いてる上原氏だが、沖縄は大家族主義で血縁の付き合いが濃いので、帰省の際はお土産買ってくのが大変だという(でも、やっぱりきちんと買っらっしゃるんだな)。その反動か、ご自分のお子さんには放任気味で、ご長女はアメリカにいるそうで。
・そういえば『宇宙刑事』シリーズでは、当時普及したばかりのパソコン通信、ネットショッピングの先駆けなどを取り上げ、悪の組織がそれを利用して人間を堕落させる、といった「便利な物に騙されるな」というメッセージをこめた、資本主義快楽社会批判みたいな作品を多く書いてましたね、と話を振ったら、照れ隠しなのか「そういう新しい物はわかんないから、悔しくてやるんですよ(笑)」とのご返答。
今では脚本や原稿はパソコンで書いてるが、基本的にはITは苦手で、昨年放送の『ウルトラQ Dark fantsy』中の「ガラQの大逆襲」で、セミ人間に仕業で知らない間に自分がハッキングを行った事にされてた、というエピソードなどは、本当に自分の恐怖感が出ていたらしい。

 

 

■怪獣使いの証言
『TONE』誌のインタビューでは、上原氏の手掛けたヒーロー作品の話より、上原氏の戦争体験と、沖縄問題についての見解を聞くことをメインに努めた。
(最後の方じゃ、俺の好きな作品の趣味的な話も聞いたけど)
それでも唯一、上原氏の方から振ってきた自作品の話が『帰ってきたウルトラマン』第33話「怪獣使いと少年」の話だった。
畏友ばくはつ五郎こと河田氏(id:bakuhatugoro)が笠原和夫に着目する一方、わたしがなぜ上原正三氏に話を聞こうと思ったかというと、20年ばかり前、雑誌『宇宙船』のインタビューで、同氏が「沖縄から本土を見ている視点が、宇宙人の視点で地球を見ている、という感覚を描くのに役立った」と語っていたのが、強く印象に残ってたからだ。
彼は星から来たウルトラマンと同様「みんな」の外から来た人物だったのである。
上原作品では『帰ってきたウルトラマン』に限らず、『イナズマンF』でも『宇宙海賊キャプテンハーロック』でも『バトルフィーバーJ』でも『宇宙刑事シャリバン』でも、自分が生き延びるためやむを得ずであっても仲間を裏切った人間は、また、例え主人公の友人あっても一度でも私利私欲のために悪の組織の誘惑に負けた人間は、必ず罰が下って死ぬ、という話ばかりが繰り返し描かれている。
そんな脚本を書く御仁だから、俺のようなどっちつかずのコーモリ野郎には覚悟が必要かなあ、と思えば、存外に物腰がサバサバとしたお方だったので安堵したが、そのサバサバした感じは、どうやら「俺は所詮異邦人」という覚悟の産物ではないかと思われる。

 



■この上原作品が凄い
・取材前に上原脚本作品を数本観返したメモから
●『帰ってきたウルトラマン』(第一話「怪獣総進撃」)
・アーストロン出現
 逃げ遅れた村の娘、下敷きになった祖父の側から逃げようとしない
「おじいちゃんと一緒じゃなきゃやだー!」(そこを郷秀樹が助ける)
(→現代の作品なら祖父が「わしに構うな」と言って娘は泣く泣く逃げそうだが
「一人だけ逃げる」という発想が寸毫も無く「死ぬ時は一緒」思想が徹底)
●『帰ってきたウルトラマン』(第五話「決戦!怪獣対マット」)
・MAT本部で、早急にツインテール攻撃を命じる長官とのやり取り
 郷「逃げ遅れた人間が5人、地下に閉じ込められています」
 長官「東京都民一千万人の命を守るためだ。この際5人のことは忘れよう」
 (→「東京都民一千万」を「本土」に「5人」を「沖縄」に替えて考えると…)
 郷「5人も一千万人も、命に変わりありません!」
 長官「長官の命令に背く者はどうなるか、知っておろうな?」
 長官の前でMATのバッジを外して、MAT司令室を出てゆく郷
 (→映画「2/26」のラスト青年将校たちが階級章をはぎ取られるのの逆)
 長官「なぁに、いざという時はウルトラマンが来てくれるさ、ハハハ」
 (→結局、在日米軍任せかよ)
 すかさず司令室を出て郷に一人でつっこむMAT上野隊員
「お前何のためにMATに入った? MATに入って何をしたっていうんだ?
 帰るところがあるからって、これじゃ無責任すぎるじゃないか!?」
 その後さらに、単身アキの救助に行く郷を手伝いに来た上野隊員
「俺はお前のように帰るところがない、だからMATに賭けてるんだ」
(→郷と上野の違いは、まるで応召軍人と職業軍人の違いに見える)
●『イナズマンF』(第12話「幻影都市デスパーシティ」)
・デスパーシティのサイボーグ兵士要員ハント
「いやだー、助けてくれー」と叫びながら走ってくる少年
 追ってくるデスパー兵士と、デスパーシティ市長サデスパー
「ここでは15歳になるとみんなサイボーグにされてしまうんです」
(→まるで徴兵じゃねえか)
・デスパーシティ内部の協力者の弟
 (実は裏切ってイナズマンをデスパーに密告していた)
「俺はデスパーシティの外に出たかったんだ?」
 (上原氏が『七人の刑事』用に考えていた幻のシナリオ腹案「パスポート」(米軍占領下当時の沖縄から出たかった若い男の話)とそっくり)
●『宇宙刑事シャリバン』(第42話「戦場を駆けぬけた女戦士に真赤な青春」)
・ダム地下の秘密基地に向かう伊賀電と、同志のイガ星人戦士のベル・ヘレン
 ダムの上で思いつめた顔の婦人(実はレイダーの刺客)を見かける
 基地に来て
 伊賀電「いいかいヘレン、俺以外の人間に、あのドアを開けちゃいけないよ」
 伊賀電が去ったあと、ダム上をモニター監視するベル・ヘレン
 さっきの婦人を「自殺するつもりじゃ……?」と飛び出してしまう
 謎の婦人が男と一緒に写っている写真を見るベル・ヘレン
 ヘレン「どなたかここで(亡くされたんですか)?」
 謎の婦人「このダムの建設に関わって、豪雨の時に見回りに……
 強引にでも、引き止めれば良かった……」(まるで戦争未亡人のようだ)
 (一瞬、オーバーラップする、ヘレンの同志が殺された場面の回想)
 結局、不意打ちにやられてしまうベル・ヘレン
 助けに来たシャリバン
 ヘレン「シャリバン、ごめんね…」
(→洞窟みたいな場所で、篭もってないといけないのに、人を助けるつもりで
 当人は良かれと思って出て行って、死ぬ、というパターン)
――まあしかし、ご興味を持たれた方は、上原氏自身の著書『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(https://www.amazon.co.jp/dp/4480885072/)と切通理作怪獣使いと少年』(https://www.amazon.co.jp/dp/4800306159/)をご一読されるのが一番お勧め。

 


上原氏にはその後、東日本大震災の記憶も生々しい時期の2011年夏、月刊『ヒーローズ』の創刊準備号のため再び取材した。このときも、琉球人としての「外部からの視点」を強調し、均質化して海外に向けない現代日本人への違和感や、琉球と同じく歴史的には日本の僻地だった東北へのシンパシーのような意識を語っていたのが印象的だった……。
――思えば、わたしがなぜ特撮オタクなのかといえば、小さいころからずっと、人類に殺される怪獣ゴジラや、左右非対称の醜い人造人間のキカイダーや、『ウルトラマン』で地球の人々に見捨てられた恨みの炎を放つジャミラや、『帰ってきたウルトラマン』の「怪獣使いと少年」で市民に袋だたきにされるメイツ星人などなどの姿に、人間社会で疎外される者の影を見てきたからだ。
そこから、単純な善悪で割り切れない世界、差別される者の孤独と悲哀を感じ取った人間は、きっとわたし一人ではないはずだ。
そんな感性を忘れない「昭和の子供」を作った一人が上原正三だった。
――ありがとうございました。

それでは皆様よいお年を

炎上回避のためほかにSNSもやってない中、なんかもう年に1度の生存報告みたいになってますが、とりあえず更新。
■2019年最後の挨拶とか年間ベストとか
頭の整理も兼ねた、本年触れたもろもろの年間ベスト。
1.TVドラマ『いだてん 東京オリムピック噺』
2.小説『火星人類の逆襲』『人外魔境の秘密』
3.評伝『怪帝ナポレオン三世
4.エッセイ『二階の住人とその時代』
5.小説『室町少年倶楽部』『室町お伽草紙
6.エッセイ『歴史としての戦後史学』
7.TVドラマ『ゲゲゲの女房』(再放送)
8.映画『i 新聞記者ドキュメント』
9.映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
10.国立科学博物館「恐竜博2019 THE DINOSAUR EXPO」
列外.映画『仮面ライダージオウ Over Quartzer』
■1.『いだてん 東京オリムピック噺』
脚本:宮藤官九郎https://www.nhk.or.jp/idaten/r/
本作を誉めたい点は山ほどあるが、最後までクドカンがクトカンであることを曲げず、それを許すスタッフと製作体制が守られたことに拍手したい。
現代劇、知名度の低い人物、劇中での妙なツッコミ、多数の敗者が中心で英雄不在のドラマ……そら人気でないのも当然だよ。でも、それをわかって「大河ドラマはかくあるべし」に寄せなかった度量を買いたい。
クドカンは一貫して、ぱっとしない側の人間の心情や、格好悪い男の嫉妬や気まずさをごかまさず、それでいて笑える雰囲気に描いてきた。本作はそのテイストが、世界大戦、関東大震災、昭和のファシズム大東亜戦争……といった重たいテーマを、教科書的でなく等身大の実感あるものにしてくれている。
考えてみれば、戦国時代や幕末が舞台の王道的大河ドラマは、たいてい最後に主人公が悲惨な死に方をするが、本作はかなり平和で健全な終わり方ではないか。
序盤から主役のはずの金栗四三のほか、役所広司嘉納治五郎といい、森山未来美濃部孝蔵(ヤング古今亭志ん生)といい、生田斗真三島弥彦といい、キャラが立つ人物が多すぎて話がブレたのも贅沢な悩みと言うべきか。
あと「真夏にマラソンをやると死ぬ」という啓蒙は重要、超重要。おい小池百合子森喜朗! 『いだてん』ちゃんと観てたか?
ちなみに、『鎌倉幕府のビッグ・ウェンズデー』久保田二郎(角川文庫;https://www.amazon.co.jp/dp/4041622042)によると、1912年の日本の五輪予選では、無名の人力車夫が金栗四三に勝ったが代表選手になれなかったという。峯田和伸の演じた車夫の「清さん」こそ消えたヒーローだったのか?
■2.小説『火星人類の逆襲』『人外魔境の秘密』
横田順彌:著(https://www.amazon.co.jp/dp/410142103X/
上記『いだてん』にも登場する押川春浪東宝特撮映画『海底軍艦』の原作者)のほか、格闘家の前田光世など明治末の実在人物が多数活躍する幻の怪作。
絶版で一時期は数千円の根がついていた物を、副業で古本屋の店番を始めた浅羽通明氏(https://twitter.com/asabam1)から格安で入手。
このシリーズ、読んでると1960年代東宝特撮映画のビジュアルしか思い浮かばない。『火星人類』は、劇中の「火星人類が女性を手籠めに」という流言が、すごく本当にありそうで笑う。後半、火星人に攻められた日本の危機に乗じて、ロシア、続いて米国やドイツまで日本に派兵の危機という展開がいかにも当時らしい。
『人外魔境』は、恐龍と軍隊のバトルよりも、原始人類に野球を教え込む話を大真面目に徹底した方が面白かったのではないか。
■3.評伝『怪帝ナポレオン三世
鹿島茂:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4062920174/
仕事のため初めて全編通読。ルイ・ナポレオンが、イタリアの革命組織カルボナリ党澁澤龍彦の『秘密結社の手帖』にも記載)と交友があったとか、ウージェニー皇后の家庭教師を務めていたのは元軍人で作家のスタンダールと、その親友のメリメだったとか、意外な話が山積み。それにしても、皇帝一族なのに古典教養がなく、「上からの社会主義」を実行した三世は早すぎた近代人だったのだな。
■4.エッセイ『二階の住人とその時代』
大塚英志:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4061385844/
1970年代後半~1990年代初頭までの徳間書店と月刊『アニメージュ』をめぐる歴史証言。大塚の筆致は「古典教養のある先人に比べれば自分は二流のおたく」というコンプレックスがうざいが、それゆえの面白さといえる。
オタク文化を育成した徳間書店のルーツであるアサヒ芸能が、花田清輝野間宏安部公房加藤周一らが参加していた真善美社につながるという話、東映動画などの初期のアニメ関係者が影響を受けた映像理論のルーツが、イタリア未来派やロシア未来派など戦前のモダニズム前衛芸術にあるという話は興味深い。
そもそも漫画・劇画は映画監督エイゼンシュテインモンタージュ理論の応用で描かれている、メディアミックスという言葉を使うと見えなくなる本質だろう。
■5.小説『室町少年倶楽部』『室町お伽草紙
山田風太郎:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4167183153/
「室町もの」は未読だったが、本年は仕事(後述)のため南北朝の争乱とかについて調べたので、手を出してみた。
『室町少年倶楽部』は、純朴な少年だった足利義政細川勝元らが無為無策で意図せず非運の結末(応仁の乱)に至る話。まさに「締まりのないギリシア悲劇」。しかし、いわゆる「名将」は戦乱で町を焼き払うのみで、政治に興味のない鈍物・足利義政の築いた東山の庭園は残った。義政はいわば、室町のルートヴィヒ二世か。
『室町お伽草紙』は、10代のころの織田信長が、同じく青年期の上杉謙信武田信玄と3人で美少女を奪い合う話。こう聞くと、思わず「ラノベかよ!?」と突っ込みたくなるが、最高のラノベである。桶狭間の戦いならぬ「桶屋形の戦い」、大坂夏の陣ならぬ「大坂秋の陣」、清洲同盟ならぬ「三角州同盟」など、遊び心に溢れるおふざけ満載。
■6.エッセイ『歴史としての戦後史学』
網野善彦:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4044003998/
昨年購入したのをやっと読了。「支配者交代の歴史」ではなく「民衆の歴史」が学問として確立される過程の証言。
若い頃の網野善彦は、渋沢敬三を中心とする日本常民文化研究所で働いていたせいで、昔の左翼仲間から「アメリカ帝国主義のスパイ」と呼ばれたという。しかし、網野は「紛れもない資本家」出身ながら文化事業に協力を惜しまなかった渋沢を絶賛する。というか、日本はほかに文化事業に協力的な金持ちが少なすぎる。
日本常民文化研究所が1950年代に各地の漁村から膨大な量の古文書を集めたものの、コピー機もスキャナもない時代ゆえ筆写の手間が追いつかず、整理できないまま死蔵され、半世紀近くを経て返還しているが、元の持ち主が不明だったり死去して返せない物が大量、という話がせつない。でも、そんな作業をやりながら『無縁・公界・楽』とか『異形の王権』とか書いてたんだから凄い。
■7.TVドラマ『ゲゲゲの女房』(再放送)
武良布枝:著(https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=asadora82
水木しげる(隻腕のラバウル帰り)の自伝は中学生の頃に読んで熱中したが、振り回される家族の視点で見るとまた一興。ゲゲゲの鬼太郎以前のド貧乏な貸本漫画家時代に全話の3分の2を費やし、重要な戦争体験の話をわざわざ後半に持ってきた構成がニクい。
■8.映画『i 新聞記者ドキュメント』
監督:森達也https://i-shimbunkisha.jp/
原一男の『ゆきゆきて、神軍』など、すぐれたドキュメンタリー映画は、気まずい雰囲気を正面から撮っているのが醍醐味。本作もその例に漏れず。政治家は現場を見ず、現場を見てきたジャーナリストは口調が鋭く、ただ平行線が続く。でも、森監督はあの外見のせいでみずから警察とのトラブルを招いてる気も……。
どうでもいいが、どの記者会見でも常に菅義偉官房長官のネクタイがホンの少し曲がっているのが気になって仕方ない。
■9.映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
監督:マイケル・ドハティ(https://godzilla-movie.jp/
日本のSF特撮と異なり、多くの場面で瓦礫や煙や火焔が舞ってるため画面の視界が悪いのが、いかにも災害物映画っぽい。古代の神話になぞらえたかのように、怪獣がタイタン(巨神)と呼ばれるのがニクいね。芹沢博士ならあの死に方は本望であろう。あと雌という設定のモスラは、劇中で発音が「マァザァ」と聞こえる。
それにしても、1990年代以降の東宝怪獣オールスター物で、かつては単独で映画の主役を張って福岡市を破壊したラドンが、毎回モスラに比して小物扱いなのは九州の炭鉱街に住んでた者として哀しいなあ。
■10.「恐竜博2019 THE DINOSAUR EXPO」
国立科学博物館https://www.kahaku.go.jp/
鳥類のように子育てする恐竜の再現図、恐竜から進化した爬虫人類の想像図の立像などが見もの。超リアルな日本在来恐竜のCG映画に、頭はワニで体はサメみたいな魚竜がいたのを観て、長年の謎が解けた。『日本書紀』に出てくる「因幡の白兎」のお話で兎に騙されたのはワニなのかサメなのか本によって記述があいまいだが、あれはきっと魚竜だったんだ!(←違うわ阿呆)
■列外:映画『仮面ライダージオウ Over Quartzer』
監督:田﨑竜太(http://zi-o-ryusoul.com/zi-o/index.html
この映画の珍作・怪作ぶりはこちらで詳しく述べられてる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/rangatarou/n/n6541adc4c855
東映は何を勝手に、「仮面ライダー」というコンテンツに平成という時代のすべてを代表させとるのだ(平成ゴジラも、平成ガメラも、平成ウルトラもあるぞ)
平成ライダーは『ディケイド』の劇場版あたりから過去作品を利用してシリーズ自体を自嘲的に批評するような、メタ的な表現が濃厚になってきたわけだが、「しょせん幼児にオモチャを売るための番組だろ」という枠組みを逆手にとったかのように、劇中で仮面ライダーと呼ばれるヒーローキャラさえ出てくれば何をやってもOKと言わんばかりの自由度が炸裂。
バブル世代のおっさんである仮面ノリダーの木梨が、若い主人公に対し、自分は存在自体がパロディだが今を生きているお前は本物だと説くという痛烈な図式。
本作の悪役は、平成という時代そのものをリセットして美しく整え直すことを説くが、うがった見方をすれば、これこそ「歴史修正主義」ともいえる。
■本年、書き落としたことなど
●バブル時代に「コミュ力」という言葉がなかったのは当然。直に人に接する仕事のほうが普通だったから。わざわざ対人直接コミュ力が意識されるようになったのは、ネットの普及で人と直に接しなくてもできる作業が増えた結果。
●そもそも、女性を採用する企業が存在しなければ女性の社会進出はありえないわけだが、世の会社の経営者の圧倒的大多数は中高年男性である。女性の求人募集をしている会社の経営者は一人残らずみんな左翼フェミニストなのか???
●右も左も納得
「歴史上、そのときの多数派が間違っていることだって多々ある」
「例を挙げよ」
「みんな大本営の言うことを信じたけど大東亜戦争は敗北した」
「ほかには」
民主党が政権を獲ったとか」
●いずれ安倍政権が終了すれば間違いなく株価は下がる。すると必ず「左翼リベラル派のせいで株価が下がった」と言う奴が出てくる。だが、べつに左翼リベラル派に株価を左右する権限や能力などない。株価が下がるのは投資家が積極的に株を買わなくなるから。つまり安倍政権が終わるや株を買わなくなる投資家こそ反日
●こんな文豪ストレイドッグスの新キャラもいやだ
(旧版:https://gaikichi.hatenablog.com/entry/20160515/p2
安部公房:異能力「箱男」 段ボールをかぶると誰からも無視される(認識迷彩)
小松左京:異能力「アパッチ」 全身が鉄になる
稲垣足穂:異能力「A感覚」 尻が痛くなる
村上龍:異能力「昭和歌謡大全集」 燃料気化爆弾で全員抹殺
有吉佐和子:異能力「恍惚の人」 ボケる
ベンヤミン:異能力「複製芸術」 分身の術
オーウェル:異能力「動物農場」 豚にこき使われる
アシモフ:異能力「三原則」 AIやドローンを支配する
ディック:異能力「追憶売ります」 人の記憶を書き換える
マーク・トゥエイン:異能力「王子と乞食」 人のIDを入れ換える
フローベール:異能力「紋切り型事典」 どっかで聞いたような言葉しか言えなくなる
■回顧と展望
で、例によって本年やった仕事の一部を記載。
『30の都市からよむ世界史』(https://www.amazon.co.jp/dp/453219962X/
FGOにも出てくるバビロンを筆頭に、聖地エルサレル、アラビアンナイトの都バクダード、アレクサンドロス大王玄奘三蔵も訪れたサマルカンド、『罪と罰』の舞台サンクトペテルブルクヒトラースターリンも住んだウィーンなどを担当。
超訳 戦乱図鑑』(https://www.amazon.co.jp/dp/4761274174/
6世紀の「磐井の乱」から、江戸時代の「大坂夏の陣」まで約1000年の日本の主要な内乱、戦争をまるっと解説。ツッコミ部分はほぼ当方のセンスですが、監修の山本博文先生のおかげで、昭和期の教科書にはなかった最新の学説が反映されてます。
『武器で読み解く日本史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4569769489/
終盤の小銃、軍艦、航空機、戦略兵器などの項目を担当。247pで九七式戦車のキャプションに三式中戦車のイラストが入ってしまったのは痛恨のミス。
『図解 古事記日本書紀』(https://www.amazon.co.jp/dp/4054066941/
同じお話でも古事記日本書紀でどう違うのか、ギリシア神話北欧神話など海外の神話・伝承でよく似た話との対比とか、けっこう細かく突っ込んでます。
『国境で読み解く日本史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4334787673
後半の近代編以降を担当。樺太千島交換条約でロシアが損した点、小笠原諸島の先住民がたどった数奇な運命、満州国建国の前に幻に消えた「大高麗国」の構想、終戦時の連合軍による幻の日本分割計画、1週間だけ自称独立国だった八重山諸島、などの意外エピソードをいろいろ書いてます。
あと、3年前に手がけた『元号でたどる日本史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4569765815)が「改元景気」で9回も増刷がかかったのはご愛嬌。
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平成が終わった本年、高校を卒業して働き出してから30年、そのうち原稿料収入だけで生活してる期間が半分になりました。
令和も死なない程度に生きたいです。
それでは皆様、よいお年を。

「新しい伝統」という語義矛盾

伝統であっても、「僕の嫌いな要素は抜きとりたい」「僕の好きな要素だけでできた伝統にしたい」という人はいるだろう。

が、伝統とはもともと非合理なものであり、伝統に合理性を求めたら、その時点でそんなものはもう伝統ではないのだ。