電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それでは皆様よいお年を

最終回が第一話
はてなダイアリーは2018年度でサービス終了というので、15年間にわたって続けてきた、はてなダイアリー版「電氣アジール日録」は今日で閉鎖です。これまでお読みになられた奇特な皆さま、誠にありがとうございました。
今後ははてなブログに移行となりますが、例年、新年そうそうは書くことがないので放置状態となること請け合い。
いささかマヌケですが、同じ内容をはてなブログにも記載しました。
よって、新ブログでは最終回が第一話。まあ、マジンガーZの最終回にグレートマジンガーが出てきたようなものか。
2018年最後の挨拶とか年間ベストとか
例によって、とりあえず本年の年間ベスト。本年の後半は時間がなくて結構いいかげんです、ごめんなさい。
1.映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』
2.映画『菊とギロチン
3.映画『シェイプ・オブ・ウォーター
4.小説『いやな感じ』
5.ルポ『ナツコ 沖縄密貿易の女王』
6.書評『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』
7.評伝『権藤成卿
8.TVアニメ『ルパン三世 PART.5』
9.ルポ『80's』
10.エッセイ『0から学ぶ日本史講義』
列外.八王子夢美術館「王立宇宙軍 オネアミスの翼展」

1.映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』
監督:チャン・フンhttp://klockworx-asia.com/taxi-driver/
1980年の光州事件を題材にした韓国映画。序盤のノリの軽さゆえ、後半の鮮烈さが際だつ。劇中の風景が日本とほとんど変わらん雰囲気だからこそ怖い。
本作はあくまで「実話をもとにしたフィクション」だが、戒厳令下においても普通の日常はあり、巨大な政変の最中、一般人には全貌がまったくわからない感じがリアル。
光州市を制圧した軍とかの当局が意外とずさんだったり、なぜか市外の警備担当があえて主人公を見逃そうとした場面など、逆説的にありそうな話という感じ。
一応はドキュメンタリー風の作品なのに、クライマックスでカーチェイスの見せ場を入れてくるエンタメ根性に苦笑。

2.映画『菊とギロチン
監督:瀬々敬久https://kiku-guillo.com/
生前の鈴木清順も深く思い入れていた、大正末期のテロ集団「ギロチン社」の顛末。
テロリストと対をなす、関東大震災下で「活躍」した自警団の気まずさに迫り、きりの良いところで話を終わらせずに引っ張った後味の悪さが秀逸。
多くのドラマで女子人気の高い東出昌大の演じる中浜鉄が本当にゲスっぽく、贅沢なるイケメンの無駄遣いが微笑ましい。
本作によると、女相撲の興行は江戸時代からの歴史と伝統があったという。それが現在ではすれてた一方、近代以降に西洋から輸入されたスポーツである高校野球で「女はマウンドに立つの禁止」という伝統が生まれているのはつくづく謎。
https://www.news-postseven.com/archives/20180801_731680.html?IMAGE&PAGE=1

3.映画『シェイプ・オブ・ウォーター
監督:ギレルモ・デル・トロhttp://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/
子犬のような半魚人がけっこうイケメン。
聾唖者やゲイに黒人の中高年と、従来のハリウッド映画なら主役になり得ないタイプの人間ばかりが集まった作品。しかし当然ながら、白人成人男性だけがでかい顔をしていた時代のアメリカにも、ぱっとしない奴はいた。
そして、主人公の仕事仲間である黒人のおばちゃんの亭主がけっこう保身的だったり、マイノリティがそれゆえ別のマイノリティに優しいとは限らない点が重要。それでも、劇中のゲイのじいさんなどは、危険を冒して友人をかばうから感動的なのだ。
全体的に薄暗い画面と、建物の適度な汚しが良い。今のSFでは「1960年代冷戦下」はかつての「戦時中」みたいな位置づけなのだろうな。

4.小説『いやな感じ』
高見順:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4167249022
昭和初期、左翼勢力の内部で共産党と対立するアナキスト崩れが、ダラダラと生きのびつつ結局は右派の政治ゴロに堕していくお話。
タイトル通り「いやな感じ」としかいいようない怪作。時代背景は、神代辰巳の映画『宵町草』と、かわぐちかいじの漫画『テロルの系譜』に重複。
後半、軍への協力者となった元同志が語る自己正当化の理屈が痛烈。
「どえらい戦争をはじめたら、きっと日本は、しまいには敗けるにきまってる。どえらい敗け方をするにちがいない。だって今の軍部の内情では、戦争の途中で、こりゃ敗けそうだと分かっても、利口な手のひき方をすることができない。派閥争い、功名争いで、トコトンまで戦争をやるにきまってる。そうした軍部をおさえて、利口な手のひき方をさせるような政治家が日本にはいない。海軍がその場合、戦争をやめようと陸軍をおさえられれば別問題だが、海軍と陸軍の対立はこれがまたひどいもんだから、陸軍を説得することなんか海軍にはできない。逸る陸軍を天皇だっておさえることはできない。こう見てくると、戦争の結果は、どえらい敗戦にきまってる。そのとき、日本には革命が来る」(264p/文庫ではなく単行本版)
まるで「革命が起きるまで人民は苦しめるべし」と説いたネチャーエフの『革命家の教理問答』じゃねえか!

5.ルポ『ナツコ 沖縄密貿易の女王』
奥野修司:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4167717476/
終戦直後、本土の経済圏から切り離された米軍占領下の沖縄で、台湾や中国との密貿易で荒稼ぎした女傑の記録。
地図で見ると一目瞭然だが、八重山列島与那国島沖縄本島より台湾に近く、しかも戦前まで台湾は日本領だったから、海上の国境を意識する感覚は希薄だった。
・戦前、南西諸島からは米領フィリピンへの出稼ぎが多く、1930年代の時点で、マニラでは出稼ぎの漁民でも上下水道、水洗トイレ、電灯、電気冷蔵庫完備のアパートに住めた。(113p)
アメリカの植民地でもこの生活レベルだから、本国はどんだけ進んでるんだという話で、米領フィリピンで生活した出稼ぎ者は「この戦争は負けるよ、沖縄は全滅する」と予見(124p)
――そら、無理もないわな。
・戦後の沖縄の各政党の立場、共和党琉球独立、社会党信託統治、社大党と人民党は本土復帰。本土復帰論は米軍から共産主義と同一視されて非難された(347p)
・占領統治時代の沖縄では、当選した議員が日の丸の旗を振って祝ったら「反米」と見なされた(350p)
――そらアメリカと戦争して占領されたんだから、反米独立が愛国だわな。

6.書評『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』
高野秀行・清水克行:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4797673532/
3年前に取りあげた『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(https://www.amazon.co.jp/dp/4797673036/)のコンビの新刊。
・平地では輸送に馬車や牛車が使えるが、一定以上の標高になると徒歩でしか運べない。軍隊の兵站が非常に困難なので侵攻しても効率が悪い(35p)
・「日本」という国号は、中国大陸から見ての「陽が昇る地」という感覚を内在化している。ちっとも中華文化圏から意識が独立してない逆説(51p)
平将門の新皇政権では暦博士だけは任命できなかった。暦づくりは都の専門家にしかできない特殊技術。暦博士がいれば改元していた可能性(108p)
・米や麦など穀物が栽培されるようになると、穀物を用いた離乳食が作られ、出産の間隔が短くなるため人口が増えるという説(179p)
――などなど、興味深い話が多数。

7.評伝『権藤成卿
滝沢誠:著(https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9EBKW/
忘れられた明治~昭和初期の農本主義者・権藤成卿の一代記。
韓国併合以前にアジア主義者が考えていた日韓合邦、古代の高句麗の版図を復活させた「大高麗国」の構想など、「ありえなかったもう一つの近代史」へのSF的想像力をくすぐる一冊。
それにしても、権藤に限らず、宮崎滔天とか当時の日本の右派思想家は神道ではなく儒学がバックボーンの人が多数。昨今、保守愛国を標榜しながら「漢文は必要ない」とか言ってる奴はニワカ。

8.TVアニメ『ルパン三世 PART.5』
矢野雄一郎:監督・大河内一楼:シリーズ構成(https://lupin-pt5.com/
序盤からルパン三世という人物自体が都市伝説化してるとか、複数ルパン三世代替わり説を暗示させるメタ要素で、2008年作品の『ルパン三世 GREEN vs RED』(舞台は我が地元・トムス・エンタテインメントのある中野区!)を連想。
最新ITと半世紀前から続くシリーズという、一見して相反する要素を巧みに接合した点は、英国の『007』シリーズのよう。
でも、歴代ルパン三世って、監督や脚本家ごとに作風も多様で、「ルパン一家さえ出てりゃOK」てぐらいコンテンツとしての自由度は高かったはず。
終盤、もともと五右衛門はルパンの敵だった話が出たり、ルパンの逃亡先がカリオストロ公国だと暗示したり(見ればわかるが明言しない演出)、旧作ファン泣かせの要素も渋い。
そして、この作り手が同年代の大河内一楼氏というのも感慨深い(10年前、一度だけ取材で話をうかがいました)。

9.ルポ『80's』
橘玲:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4778316142/
作者は1990年代に『宝島30』の中の人だったというからには読まねばと思い購入。
SNSスマホもなかった1980年代、過激な性体験などを赤裸々に書いた少女雑誌が売れた背景として「自分たちと同じような女の子がなにを考え、なにをしているのか知りたかったし、なにより自分のことを語りたがった」(114p)という時代証言などは興味深い。
1989年の天安門事件後、中国関係の予想は「日本への難民大量流入(盲流)」が主流で、中国の経済発展を本気で唱えた者はほとんどいなかった(200p)なんて話は、「ああ、そうだったそうだった!」と膝を打つ。
タイトルは80'sでも90年代の話も興味深い。

10.エッセイ『0から学ぶ日本史講義』
出口治明:著(https://www.amazon.co.jp/dp/4163907718/
本年、仕事のために読んだ本では、ある意味で一番に立った。まだ単行本化されていない中世篇(『週刊文春』で連載中)も熟読しましたよ。「平安末期は源氏vs平家の一族あげての合戦ではない」とか「元寇鎌倉幕府の中央集権化が進んだ」とか、ここ10数年ほどの歴史学の新解釈が手っとり早く見通せる。

列外.八王子夢美術館「王立宇宙軍 オネアミスの翼展」
http://www.yumebi.com/acv85.html
初見のボツデザインとか、文字どおりチラシの裏に書かれた初期の構想メモまで見られた。当時のアニメとかオタ文化の枠を超えた背伸びがなんとも懐かしい。
本作品の、1920~50年代を意識したアールデコ・アールヌーヴォー風の美術だのメカだのは今見ても独創的だが、「現実世界では結局、もっと大量生産に適した、味気なく合理的なデザインが定着しちゃうんだよね…」と、つまらぬ感慨に陥る。

本年、書き落としたことなど
毎度毎度、時勢に遅れたことを書いているが、逆に「この話、前に書いたあれと同じじゃないか」と思うことは多い。
本年は、入管法改正で外国人労働者がどっと増えるという話の一方、外国人技能実習生問題が注目を集め、韓国が徴用工問題を蒸し返した。この辺について一つだけ述べさせて欲しい。
みんな、今こそ『日本残酷物語』(https://www.amazon.co.jp/dp/4582760953/)を読もうぜ!!
以前も書いたが(http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20130616#p2)、このシリーズを読むと、明治期から戦前まで、現代のブラック企業とほとんど変わらん詐欺雇用が横行していたことがよくわかる。
ことに、北海道開拓の裏面で使い潰された労働者たちの話は、『ゴールデンカムイ』の世界そのまんま。俺が平凡社の編集者なら、間違いなく本年、野田サトルに表紙イラストをお願いして『日本残酷物語』を増刷させてた。
技能実習生も徴用工も他人事じゃねえんだ、この国じゃ同じ日本人さえブラック待遇は当然だったのだ、そんななか外国人だけホワイト雇用とかありえねえだろという話。
ま、俺は「外国人労働者はどうせ増えない」という仮説を唱えてますけどね。
http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20171124#p2
このシリーズでは、中世や近世の話に目を向けても、村同士で水源をめぐって殺し合いとか、農民が落武者をぶち殺して所持品を奪ったとかの話は数多く、日本史に大量虐殺はなかったとか(https://rondan.net/1615)、真っ赤な大ウソっすよ。

回顧と展望
例年、忙しい忙しいと書いてるわりに何をやってるか他の人には謎と思われるので、本年やった仕事の一部を書いときます。
『世界史100人の履歴書』(https://www.amazon.co.jp/dp/4800280893/
青年期のチャーチルの賞金首はわずか25ポンド、少年期のガンディーの乱れた性生活、列車を時刻表通りに走らせたムッソリーニの偉業とかの話を紹介してます。
『港の日本史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4396115202/
江戸時代の廻船問屋の発達、横須賀、呉、舞鶴佐世保の4軍港の歴史などを担当。
『30の「王」からよむ世界史』(https://www.amazon.co.jp/dp/4532198631/
カール大帝、スレイマン大帝、ナポレオン一世、ヴィクトリア女王などの項目を担当。
昭和天皇の名言』(https://www.amazon.co.jp/dp/4800282276/
昭和天皇実録』ほかから、戦前の軍に対する見解、家族に関する発言、戦後の各種式典での挨拶、などなどを多数収録して解説を担当してます。
『原寸大で鑑賞する 伝説の日本刀』(https://www.amazon.co.jp/dp/4800287138/
熱田神宮の所蔵刀、『ONE PIECE』でゾロが使用している刀、新撰組近藤勇が使用した阿州吉川六郎源祐芳、土方歳三和泉守兼定などについて書いてます。
ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』/付録冊子(https://www.amazon.co.jp/dp/4905325129/
著者の福嶋亮大氏と、『帰ってきたウルトラマン』ほか多数の作品の脚本を手がけた上原正三氏の対談記事を構成。取材は同席してませんが。
付録の冊子は短いですが、文化発信地としての「辺境」沖縄と、1960~70年代TV・映画文化をめぐる、両人の深い視座が感じ取れる読み物になってると思います。
***
例によって、会社員でない自分は年末年始も休みはなかなかありつけないません。
まあ、表に出ない仕事も含めて、お声がかかる内が華。
それでは皆様、よいお年を。

国民を動員する「大きな物語」の魅力

しばらく前からSNSなどネット世論では「東京五輪ボランティアの待遇がブラックすぎる」という話題が絶えず、さらに五輪のためのサマータイム導入まで持ち上がり、これまたネット上では猛反発が起きている。それは自分も基本的にはまあ同感だ。
が、8月上旬に行われたNHK世論調査ではなぜか、サマータイムに賛成する者が51%に対し、明確な反対はわずか12%にとどまった。
NHK選挙WEB)
http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/
案外と五輪ボランティアの方も、いざ募集が始まったらネット世論の絶不評ぶりとは裏腹に参加者が集まるのかも知れないなあ……? という気がしている。

ブラック環境だからこそ参加したがる奴は一定数いる

最初に断っておくが、わたしはこの手の動員は大キライだし、オリンピック自体にも興味が乏しい。
五輪ボランティア動員を批判する人々は、交通費は自腹、炎天下で長時間働かされても無給、正式な雇用契約ではないから熱中症や過労で倒れても労災はなし、にも関わらず学生はボランティアに参加しないと単位がもらえない、就職面接で睨まれる……などと問題点を指摘する。
だがしかし、五輪ボランティアには「魅力」もあるのではないか? むしろ、それを踏まえたうえで批判する意見が出てきて然るべきではないのか。
わたしも含めてブログやSNSで日々持論を説いているような亜インテリではなく、地方人口の圧倒的大多数を占めるマイルドヤンキー的庶民は、運動会やら地元の祭やら「皆が一体感を抱く大きなイベント」が大好きである、そこに悪意はまったくない。
前回の1964年から半世紀以上ぶりとなる自国でのオリンピック開催、これは一生に直面できるかわからない大イベントだ、ボランティアに参加すれば、きびしい訓練を積んだ選手でなくとも「当事者」の気分が味わえる。となれば、喜んで飛び込む者が大量に出てきてもおかしくはあるまい。
ここ2、30年というもの、4年に一度オリンピックがある度、マスコミでは「感動をありがとう」などと言ってきた。しかし、福本伸行最強伝説黒沢』の冒頭では、TVでサッカーワールドカップでの日本代表の活躍を見ていた黒沢が、あれはTVの向こうにいる選手たちの感動であって自分が主人公の感動ではない、と気づいて落胆の涙を流す。
ところが、五輪ボランティアになれば「自分の感動」が味わえるのだ。喜んで飛び込む奴は一定数いてもおかしくない。
そんな連中にとっては、熱中症で倒れそうな過酷な環境であればあるほど、それを乗り越えた暁の充実感は甘美なものだろう。「五輪ボランティアがきっかけで男女が出逢って結婚」みたいな話が美談として報道されたり、10年後20年後まで「俺は2020年五輪ボランティア参加者だぜ」を語り草にする者も現れるだろう。
――言っておくが、わたしは五輪ボランティアに待ち構える前述のような問題点を擁護する気はいっさい無い。
が、人間は往々にして、ブラック雇用はいやだという実利より大きなイベントの一員になれるという物語を取ってしまう側面があることを指摘しておきたいのだ。大東亜戦争なんてのはまさにそんなノリ(場の空気)で国民に支持された。
常識的に考えれば、1941年当時、すでに4年も続いていた日華事変が一向に決着しないまま、さらに米英と開戦なんざ無謀の極みなのに「白人帝国主義との歴史的な聖戦」という物語に、当時のマスコミも津々浦々の亜インテリ層もみずから乗ってしまった。
ファシズムの参加者にとって、ファシズムは超絶めちゃくちゃに楽しいのである。

『現代ビジネス』
私が大学で「ナチスを体験する」授業を続ける理由
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56393

20年前の夏にわたしが一日だけ連れて行かれたネットワークビジネス団体「リバティコープ」の集会もこんな感じだったよ。会場内の自分らこそ新時代のエリートで、自分らはまったく新しい大事業を興そうとして一致団結してるという熱烈な一体感と高揚感、彼らは最高に楽しそうだった……そのノリについて行けなかった俺にはひたすらウザかったけど。
インテリがこうした大衆動員をバカにするのはたやすいが、動員された当事者には動員の「魅力」「楽しさ」があることは事実なのだ。

サマータイムという夏祭り/国民規模のカーニバル

ボランティアは建前上、志願者のみで成り立つ。だが、サマータイムとなれば国民全員が自分の意志に関係なく巻き込まれて強制参加だ。
しかし、まさにそれゆえにこそ、ボランティアに志願せず受動的に過ごしてるだけでも「巨大なイベントの当事者になった非日常的な気分」が味わえる。もしサマータイムが恒常化した暁には、「国民的恒例行事の第1回に参加した」という歴史的な体験の当事者になれる、これに喜びを感じる人間が一定数いてもおかしくはない。
というか、現代の日本人はもうすでに「歴史的な国民共通体験」の味を一度覚えてしまっている。こう書けば猛反発を受けるだろうが、2011年の東日本大震災は、多数の犠牲者を出して大きな爪痕を残した一方、それゆえにこそ国民が一体感を抱く「大きな物語」として機能した。
原因こそ大災害という不幸なものであるが、多くの人々がボランティアに参加したり義援金を送ったり、国民の間に強い一体感が生まれた側面は確実にあった。311後の計画停電の期間中、秋葉原のオタク向けショップでは節電協力を示すため「ヤシマ作戦実施中」という看板を掲げていたものだ。
だが本来、大きな苦難ゆえに成り立つ一体感など、無くて済むならなくて良い。
国民全体を動員する「大きな物語」は国民の総スカンを食らう危険とも表裏一体だ。しかし、逆にもし国民世論でサマータイム反対が多勢となった場合、それに応じて首相の鶴の一声でサマータイムを撤回すれば、政権支持率アップも期待できる。そうなればまったくマッチポンプとしか言いようないが、これは単なる現状維持ではなく、良くも悪くも国民全体を巻き込む「新しい提案」を持ち出した与党の勝ちである。
現時点でサマータイム反対派の多くは、IT機器のタイムスケジュール切り替えに関わる膨大な手間やバグの危険性、急な睡眠時間の切り替えによる健康障害、早く出勤したのに早く帰れない可能性など「実利」の面での問題点を指摘している、これはとりあえず正しい。だが、前回6月1日のエントリと共通する問題点ながら、反対派の弱さは「ボランティア参加やサマータイムよりも楽しく魅力的な物語」を提示できていないことではないか?
多数の人々を動員させる「物語」をナメてはいけない。かつて大東亜戦争の末期、日本ではいくら食料や燃料が欠乏して兵士や銃後の労働者の健康が悪化しても、それら実利面での損失は、白人帝国主義に対する聖戦完遂・悠久の大義がどうのこうのという「物語」を論破して撤回できず、昭和天皇の聖断が下るまで戦争を辞めることができなかった。
――ま、俺個人は元より勤め人ではないから毎日決まった時間に起きることはなく、でも例年夏季は冬季より少し早起きなんで、どうでもいいっすけど(ギャフン)

真面目左翼がなんJ民に劣るワケ

某所でほぼ同じような話を書いたのだが、なんJ民のヘイト動画通報祭りについて。

ヘイト動画を消滅させた「ネトウヨ春のBAN祭り」はネット上の革命だったのか? | ハーバービジネスオンライン
https://hbol.jp/167028

上記の記事の陳腐さ凡庸さには呆れざるを得ない。「差別動画が消されまくって結構」「ついにネット民が正義(反差別)に目覚めた」って、都合よく自分の願望に合わせた解釈を述べてるだけではないか。
確かに、ヘイト動画を通報しまくってるなんJ民には、純粋に正義感で行動している者も一定数いるだろうし、みずからが深刻な差別の当事者である本物の在日も含まれている可能性はあるだろう。また、思想性抜きに、ヘイト動画によるGoogle検索結果のサムネ汚染にうんざりしてBAN祭りに賛同している人間も一定数いる模様だが、それらだけが多数とは思えない。
なんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機は本質的に、(1)無思想の面白主義、(2)反良識の逆張り根性、ではなかったか?
なんJ民の大多数はヘイトウヨ動画通報祭りを「楽しんで」やってるはずだ。
そりゃ楽しいだろう。
バンバン動画が削除されて目に見える成果が上がってる。
しかもGoogleyoutubeという国際的企業のお墨付きだ。BAN祭り支持者のなかには、ヘイトスピーチを批判した安倍晋三お言葉を掲げている者もいる、つまり今回の件は「権威」を味方にすることに成功している。権威を笠に着て嫌な相手を困らせられるんだから、そりゃ楽しいわけだ。
――従来の反差別・左翼・リベラル派は、このようなネット民の快楽意識に訴える戦略をできなかったのが最大の失敗だ。
正義感だけで多数の人間は動かんよ。
そもそも、余命三年みたいなブログやヘイト動画が蔓延するのは、観客に「俺は日本人というだけでエラい」「ネットで真実を知ったぞ」ってな優越感の快楽をもたらすからだ。
俺はもう10年も前からずっと言ってるぞ、左翼は快楽原則で負けてるって。
左派で、山野車輪、はすみとしこに匹敵する下世話な(しかし読者に優越感はたっぷり与えてくれる)エンターテイナーは出てこないのか?

「春のBAN祭り」の真の画期性?

ところで、先になんJ民を含む2ちゃんねらー(5ちゃんねらー)の動機として「反良識の逆張り根性」を挙げた。
もともと、2ちゃんねるを中心にしたネット世論で、在日韓国人を公然と差別したり、左翼リベラル派の説く人権ヒューマニズムをあざ笑うような右翼的言辞が広まった背景は、テレビや新聞などメジャーなマスコミにおいては、反差別の左翼リベラル派こそが主流であることに対するアンチ意識だった。
ところが、今やネット世論においては公然と差別的な態度の方が主流、そこで今回の件のように「反ネトウヨ」こそが、反良識の逆張り根性が噛みつく対象となったのではないだろうか?
もし本当に今回の事件に日本のネット文化史における歴史的転換点などと言える要素があるとするなら、「皆が反差別の正義に目覚めた」なんて話ではなく、むしろ「一回転して『反ネトウヨ』が逆張り厨の対象になった」という点かも知れない? と感じている。
今回、左翼リベラル派がなんJ民を反差別の闘士のように持ちあげるのは、終戦直後に日本共産党アメリカの占領軍を「解放軍」だと思ったのを思い来させる。そんなもん、勝手に自分の願望を投影したに過ぎない。
そういや30年近くも前にも、よく似た図式を見たな。ゲイを題材にした映画に若い女性客が多数集まるんで、BLとか腐女子の存在を理解してない反差別の闘士が、左翼リベラル派の雑誌とかで「そら見ろ、若い女性の間ではこんなにも同性愛への理解が進んでるぞ」とドヤ顔してた図だ……1990年代初頭には、本当にそんな勘違いがあったんですよ。

無思想の一般人を惹きつけた者こそ勝ち

断っておくが、わたしはなんJ民を批判する気はない。むしろ、今回ヘイト動画潰しという意味では駄目な左翼よりよほど役に立ったのを、無思想な面白主義という動機まで含めて評価したいのだ。
かつて2012年には「李田所事件」というのがあった(詳細1詳細2)。
このときのネット民の反応の多くは「ネトウヨ淫夢厨に釣られてるw あーあバカだなwww」といったものだったろう。
悲喜劇的だったのは、引っかかった人たちに「李田所」の正体を知るや、「このデマを流したのは中核派だ」とか言い出す者がいたことだ、この世には自分らと敵(反日左翼)の2種類だけしか人間がいないと思い込む発想!
いやいや、世の中の大多数は、右翼でも左翼でもない、自分の快楽原則に沿うかが判断基準の一般人なんだよ。
この李田所デマにしても、今回の春のBAN祭りにしても大真面目な愛国者の皆様は、左翼でも在日でもない無思想の面白主義に足元をすくわれたのだ。
わたしは李田所事件のときの淫夢厨や、今回のなんJ民のような無節操こそ、単純な左右対立図式を相対化して解体するものとして歓迎する。
左翼リベラル派が大真面目にネトウヨを批判したって、それを読んでくれるのは元からの左派だけだ。ところが、淫夢厨は明確な思想なんてない一般人多数に「ネトウヨはバカ」というイメージを広めるのに大成功した。こっちの方がずっと効果は高いだろう。
無論、淫夢厨やなんJ民は、状況次第では左翼リベラル派もおちょくりの対象にするだろう。別にそれで大いに結構だ。

右派と左派の非対称性

さて、BAN祭りで痛い目にあった右派の間では「同じように左翼の動画を通報して削除しまくれ!」という声も挙がっているが、左派陣営からは違法な動画が大して出てこなかったらしい。これはなぜだろうか?
左翼の方が倫理観が高いとか阿呆なことを言う気はない。
ここで右翼と左翼の非対称性が問題になる。
以前も述べたが、左翼はもっぱら思想の中身という意志的な属性に依拠し、右翼はもっぱら人種、民族、国籍といった先天的な属性に依拠する。
そう、右派は自分の敵への批判を個人の主張への批判ではなく、やたらと人種、民族、国籍全体の問題にしたがる。
「○○は在日→だから悪」「○○人は日本人より下等」式の主張は、民族や国籍という大きな属性の問題に話をすり替えているだけで、相手の主張の中身に対する正当な批判にはなり得ないから、不当な差別と見なされるのだ。
恐らく、今回のBAN祭りに憤った右派には、「なんJ民は在日」と言ってやれば論破したことになると思っている者も少なくないだろうが、そんなものは「お前の母ちゃんデベソ」レベルの罵倒にしかならない。
だから、ここで右派のyoutuberに、削除対象にならない保守動画の作り方のヒントをアドバイスしてやると、「日本の左派人士や、中国政府、韓国政府、北朝鮮政府の『主張の中身、行動の中身だけ』を批判しろ」ということである。「理路整然とした保守」というのはそういうもののはずだ。
まあでも、人種民族国籍とかいった属性だけで自分が優位と思えるのが右派思想の魅力なんだから、それを押し殺すのに乗り気はしないだろうね……。

追記:ヘイト動画削除は資本主義の論理

そういえば、初歩的問題すぎて書かなかったが、ヘイト動画BANの妥当性自体について。
今回の件を「不当な言論弾圧だ!!」と怒る右派は多い。また、ネトウヨ思想に共感するわけではないが、とにかくネット言論の自由を尊重する立場から動画BANに懸念を示す者も一定数いる。
しかし、この手の人たちはyoutubeを、誰もが自由に使えるその辺の道路のような公共物とでも思っているのだろうか? youtubeGoogleという「私企業」が経営する媒体だ。youtubeは公共の道路ではなく、私有地を人に貸しているだけなのである。
そして、Googleがヘイト動画はNGと判断するようになったのは、動画の広告主がヘイト思想の賛同者と見なされるのを忌避するようになったからだ。
つまり、Googleは純粋に広告主のイメージを守らないと自社の利益が損なわれるという経営判断で、ヘイト動画をBANするようになったのである。
youtubeのヘイト動画削除はいっさい左翼思想ではない。むしろ資本主義の論理だ。
右派には資本主義を批判する国家社会主義者もいるが、今の日本の真面目な愛国者様の大多数は新自由主義を肯定してらっしゃるように見受けられる。だったら、自由競争原理に即した切り捨ては当然の正義ではないですか。
youtubeGoogleの私有地という基本中の基本を理解せず、「言論の自由ガー」とか言ってる人たちは、ぜひとも自分らの力で、ヘイト動画も含めてどんな言論もOKの動画投稿プラットフォームを構築してください。ただし、その動画サイトがなんJ民や淫夢厨に汚される可能性も充分ありますが……。

体罰の発想は解決にならない

上記の件とはまったく関係ないが「暴力について」という一点のみ共通の話をひとつ。
わたしは普段このブログではいろいろ偉そうなことを書いているが、実人生においては非常にしょぼいダメな中年(←いや初老)男である、そのへんを自白する。
つい先日、一方通行の狭い道路でトラックが路上駐車していたために通れず、安易にかんしゃくを起こして思い切りトラックを蹴飛ばしたら、中にいた運転手に怒鳴られた。経緯はどうあれ、他人の所有物(業務用の車両)を破損させたら悪いのはこちらであるから、平謝りである。48歳になってこれかよ、阿呆か。
数年に1度はこの手のポカをやらかす。3年前には、自分が住んでるアパートに帰宅したら新聞の勧誘員が通路をふさいで、隣室の住人が一生懸命に断っているのに講読を迫っていた。そこで勧誘員の腕をつかんで、「どけよ、あんたがそこにずっと立ってると俺が自分の部屋に入れねえだろうが」と怒鳴ってやったら、隣室の住人には強気だった勧誘員が、途端に泣きそうな声で「何するんだよぉ」とわめきだした。
この手のトラブルになると、わたしはよく平謝りしたうえで、それでも相手が不機嫌そうならば「わかりました。そんなにムカついてるならわたしのことを一発ぶん殴って良いです」と言うのだが、相手がそれで納得したことは1度もない。先日、この阿呆な考え方が何なのか、やっと自分でわかった、48歳にもなって。
要するに、暴力による解決は、体罰の発想なのだ。
中学や高校で何かポカをした生徒は、教師や先輩に殴られる。ただし、金銭による弁済は求められない。だが、大人になると、余程の体育会系ブラック企業でない限り、体罰ではなく金銭で弁済するのが通例となる。ところが、学校ではこれを教えない。
わたしが中高生だった1980年代当時、九州の学校では教師も先輩も息をするように体罰を使った。わたしはそれが大嫌いだったはずなのに、無自覚のまま「悪いことをしても、殴られればチャラ」という考え方が内面化されていたのだ。ああ、阿呆か。
そう、体罰の発想は真の反省を生まず、ただ「悪いことをしても、殴られればチャラ」という開き直りになりかねない。暴力は解決にならないのである。
もちろん、わたしのような社会人失格のダメ中年(いや初老)ではない大人のみなさんは、とっくの昔にみんな気づいていらっしゃるだろうけれど。

「テロは正しい」と言う者は(一貫性だけは)正当

なんか、最近の右派には「赤報隊事件は義挙」と堂々と公言する者が一定数いるらしい。

赤報隊支持者の皆さん。
https://twitter.com/lautream/status/957223790726955008
#NHKスペシャル未解決事件
https://twitter.com/japonistan/status/957585309646036998

これについて大真面目に批判する良識派は少なくないのであるが、当方としてはこういう恥じることないテロ肯定の意見には、皮肉な小気味よさを感じる。
おそらく右派の赤報隊事件に対する見解としては
 (1).朝日新聞なんてテロられて当然だから義挙
 (2).愛国者がテロなんかするわけないサヨクの自作自演だ
 (3).主張内容は正しいが手段(テロ)は間違ってる
の3通りがあると推定される。
普通に考えれば比較的まともに思えるのは(3)だが、この見解の支持者はどの程度いるのだろう? そして、(1)と(2)のいずれが多数なのか気になる。
以前も述べたが、かつて、2003年に朝鮮総連に対して建国義勇軍国賊征伐隊事件というものが起きたときは、なぜか方々で脊髄反射のごとく「朝鮮総連の自作自演」説が唱えられた。
非暴力とか平和主義を唱える左派がテロ反対と言うなら矛盾はない。しかし、大東亜戦争を肯定したり、敵対する国への武力の行使を躊躇するべきではないと主張するタカ派が、自陣営のテロに他人事のような顔をするのは何か欺瞞ではないか?
昨今、保守とか愛国を標榜する人々には「自分ら=社会秩序を守ってる良い子」「左派=権力に文句をつけたりする悪い子・異端」という意識があるようだが、戦前の血盟団事件、515事件、226事件、戦後の1961年に起きた三無事件、山口二矢浅沼稲次郎刺殺、野村秋介による経団連放火事件、三島由紀夫楯の会の事件など、日本の近代史上では右派のテロも数多く起きている。
断っておくが、わたし自身はテロを肯定する気はないし、自分がテロられるのは嫌だ。しかし、思想の一貫性という点に関してのみ言えば、極右タカ派が武力を肯定するのは正しい。一個人的な好みを言えば、テロをするような「悪い子」は僕らの仲間じゃありません(=サヨクの自作自演に違いない)というような優等生的意見の方こそ気持ち悪い。
くり返すが、わたし個人はテロを肯定する気はない。だが、「赤報隊事件は義挙」と語る方は、自分がテロられるのも当然アリとお認めになられたうえでの発言なんですよね。「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」の原則に従うならば。