電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「テロは正しい」と言う者は(一貫性だけは)正当

なんか、最近の右派には「赤報隊事件は義挙」と堂々と公言する者が一定数いるらしい。

赤報隊支持者の皆さん。
https://twitter.com/lautream/status/957223790726955008
#NHKスペシャル未解決事件
https://twitter.com/japonistan/status/957585309646036998

これについて大真面目に批判する良識派は少なくないのであるが、当方としてはこういう恥じることないテロ肯定の意見には、皮肉な小気味よさを感じる。
おそらく右派の赤報隊事件に対する見解としては
 (1).朝日新聞なんてテロられて当然だから義挙
 (2).愛国者がテロなんかするわけないサヨクの自作自演だ
 (3).主張内容は正しいが手段(テロ)は間違ってる
の3通りがあると推定される。
普通に考えれば比較的まともに思えるのは(3)だが、この見解の支持者はどの程度いるのだろう? そして、(1)と(2)のいずれが多数なのか気になる。
以前も述べたが、かつて、2003年に朝鮮総連に対して建国義勇軍国賊征伐隊事件というものが起きたときは、なぜか方々で脊髄反射のごとく「朝鮮総連の自作自演」説が唱えられた。
非暴力とか平和主義を唱える左派がテロ反対と言うなら矛盾はない。しかし、大東亜戦争を肯定したり、敵対する国への武力の行使を躊躇するべきではないと主張するタカ派が、自陣営のテロに他人事のような顔をするのは何か欺瞞ではないか?
昨今、保守とか愛国を標榜する人々には「自分ら=社会秩序を守ってる良い子」「左派=権力に文句をつけたりする悪い子・異端」という意識があるようだが、戦前の血盟団事件、515事件、226事件、戦後の1961年に起きた三無事件、山口二矢浅沼稲次郎刺殺、野村秋介による経団連放火事件、三島由紀夫楯の会の事件など、日本の近代史上では右派のテロも数多く起きている。
断っておくが、わたし自身はテロを肯定する気はないし、自分がテロられるのは嫌だ。しかし、思想の一貫性という点に関してのみ言えば、極右タカ派が武力を肯定するのは正しい。一個人的な好みを言えば、テロをするような「悪い子」は僕らの仲間じゃありません(=サヨクの自作自演に違いない)というような優等生的意見の方こそ気持ち悪い。
くり返すが、わたし個人はテロを肯定する気はない。だが、「赤報隊事件は義挙」と語る方は、自分がテロられるのも当然アリとお認めになられたうえでの発言なんですよね。「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」の原則に従うならば。