電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

これが若さか……!

『Z GUNDAM HISTORICA』04号「ジャブローの風」(講談社)発売。
今回は、コラム現実認知RealizngZコーナーを三本同時執筆の偉業(?)達成。
・エピソードガイドでは、「ジャブローの核爆発とエコロジカル終末観の流布」
モビルスーツ開発誌では、「百式に見るテクノオリエンタリズムの逆輸入」
・星々の群像では、「旧ホワイトベースクルーとベトナム帰還兵世代の反骨」
ちなみにベトナム帰還兵の話で引用した、デニス・ホッパー主演のイギリス映画『アメリカン・ウェイ』をわたしが知ったのは、1990年刊行の河出書房新社『80s 80年代全検証』での上野俊哉の文章から。
実は上野先生の書いたもの(特に日本のアニメについてとか)に共感したことはまるでないのだが、この『アメリカン・ウェイ』は今観てもまったく古さを感じさせない、むしろ911以降、ネット時代に大いに示唆的な傑作でありました。
ついでに、設定制作担当、高松信司氏のインタビュも手掛けてます。
字数枠の関係で入りませんでしたが、Zを作ってた85年当時のサンライズでは、FAXというものが事務関係をやってる本社の建物にしかなく、そっちは夜になると閉まってしまうという、で、スタジオの現場でやりとりする脚本やら設定画は、高松氏が全部いちいち電車で出かけて各スタッフから直接受け取り、受け渡しをやってたとか……当時は当然、メールを送れる携帯電話もない……今となっては貴重な歴史的証言でしょうな。
他、三角青エイことMSギャプランハンブラビ(モノアイが5個もついてた)こそが当初はメタスという名前で、理由は「目多数」だったからとか、笑えるサブエピソードも多数聞きましたが、まあ、ガノタ道を通常の三倍極めたような人なら既にご存知そうな話は割愛してます。
しかし、この号の最大の見どころは12〜13ページの百式のCGでしょう。
まさに宇宙を飛ぶクロームメッキモビルスーツ! CG時代だからなし得たイラスト……というか過去CGでもこの質感はねえだろ、と編集部内でも話題騒然!
更に次05号は、(一説によればこれまでいまいち好評ではなかった)表紙もかなりカッコ良くなります、遂に大鉄人17……もといサイコガンダム登場、当然本文中サイコのCGもかなりの迫力……の予定、としておこう。

良い子は手本にするものではありません

月刊『ランティエ』長月号が戦争特集をやってたので立ち読みしてたら、玉川和正氏の「人生のシンクロニシティ」で中江兆民北一輝甘粕正彦の三人の人物を取り上げて論じていたのだが、甘粕正彦についてで、なんか覚えのある文章に出くわした。
って、なんのこっちゃ、俺の書いた文章じゃねえか!
『B級保存版』「正気の狂人と無冠の帝王」に書いた「『大杉栄伝説』は甘粕正彦の作品である」という一節が引用されている。しっかり引用元URLまで書いてくださっていた。
本読んでていきなり自分が過去にネットで書いた文章が引用されてた、というのは、『別冊宝島428 おかしいネット社会』(1999年2月16日発行)の大月隆寛「あらかじめ予告された九〇年代!!」以来だ。
(ちなみにその文章では、同じく当方の『B級保存版』収録の「地方・高卒・男という暗黒大陸」が引用されてる)。
まあしかし、今となっては少し補足も必要あるかと思う。わたしが件の甘粕正彦についての文章を書いた当時は、多分まだ、小林よしのり戦争論』が出る前か出た直後で、「戦前の日本軍は決して悪者一辺倒だったわけでもない」史観の方がマイナーだった最後の時期である。
当時わたしとしては竹中労の『FOR BEGINNERS大杉栄』(現在はちくま文庫の『断影 大杉栄』で完全版が読める)に感じ入るところ大だったので「『大杉栄伝説』は甘粕正彦の作品である」という説を書いた次第。
大杉自体はまったくデタラメな人物だが、平和憲法下で反体制・反権力を利権化できた時代の人間ではない、そもそもが陸軍幼年学校きっての秀才からの自発的ドロップアウトで、少なくとも、本気で主義のために人生放り捨てておっ死んだ人間だ。
一方、甘粕は、事故による意図せぬドロップアウト憲兵となり、陸軍の汚れ仕事役を勤めてきた、それだけに満洲帝国の虚構性を熟知し、だからこそ満州帝国と心中した(彼には帰る所が無かった)という逆説的な潔さの人物だった。
まともな人間が見習うべき人物像とは言えないが、時代によっては、命を捨てて掛かってる人間にのみ果たしえる事もあるのだ、と考えさせられる材料になる点は大ということか。

糞狂い九頭龍様、僕らを連れてって〜

猛暑が続く中、ゆえあって平日昼間からラヴクラフトやらのクトゥルー本ばかり読んでいる(別に納涼が目的ではない)。
ラヴクラフトは幸か不幸か第二次世界大戦が始る前に死んだが、10年ばかり前に出た『幻想文学別冊 ラヴクラフト・シンドローム』などによると、彼は凄まじい人種差別主義者だったそうで、KKKやらナチスやら、モーズリーのイギリスファシスト党(銀シャツ隊)も支持していたらしい……と、こういう話を聞くと複雑な気分になる。
アメリカ的バカ明るさノリ強要の教祖だったウォルト・ディズニーや、アメリカ的太っ腹体育会系のヒーローだったベーブ・ルースが、実は凄まじい人種差別主義者だったと聞いても、まあ、仕方ないよね、と思うというか、今さら嫌な感じはしない。
だが、歴史のない国アメリカの都会を嫌った引きこもり文学者の星ラヴクラフトもそうだったと聞くと、(まるでおぼこくさい中学生のように)少し悲しい気分になる。
別に、怪奇幻想文学に耽溺するネクラな僕らのお仲間の筈の人間に悪い奴はいない筈だ、とか、乱暴なドキュン男とは違ってオタク男こそ本当は優しいんだ、とか本田透氏のようなことを今さら言いたいのではない。
むしろ逆である、都会のオシャレな俗世間に馴染めず片田舎のプロヴィデンスで平日昼間から土蔵に籠もって暗黒神話の創造に励んだ男は凄まじい人種差別主義者だった――って、今のネット上に一山幾らで転がってる差別大好きの引きこもりと同じじゃん! っていうか、そのまんま過ぎるじゃん! ――というあまりのひねりの無さに悲しくなるのである。
しかし、有色人種の土人や蛮族をぼろくそに醜く描いたラヴクラフトだったが、彼とその影響下の弟子達が持っていた、ほとんど一種のマゾヒズムに近い異界の邪神や怪物たちへの同化願望は、これまた本物であろう。
彼らの作品を読んでると、本ッ気で、「人間だけが神の被造物として特別」などとするキリスト教文化や、せせこましい地上の文明人より、海底神殿の魚人やら遠い異星の怪物やらに自らなりたがってるとしか思えない。要するに「俺は有色人種のドキュンどもとは違う、チャラチャラした都会のヤッピーどもとも違う、現世を超越し邪神たちの世界を幻視する俺らこそ真の選ばれし民なのだっ!」と言わんばかりの意気だ。
ハッキリ言って、ここまで来ると皮肉や嫌味抜きにいっそ微笑ましい。
昨今ネット上に横行する差別大好きの民も、この調子でひとつ脳内満洲帝国やら脳内第四帝国を作るところまでイってくれれば見ものである。