電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

少女にツッコんでもらいたい男たち

「読後感が凄く悪い」と念を押されて読んだのが、歌野晶午女王様と私』(角川書店)。
サエないロリコンの中年オタク男が女子小学生に振り回されれて事件に巻き込まれるんだが、実は……という筋立てだけ聞いて、島田雅彦の若い頃の短編『スピカ 千の仮面』みたいなもんかと思ったが、いや、これは印象としては金井美恵子の『文章教室』に近かった(スタンダールの『赤と黒』に近いといえば誉めすぎ?)
どーいう意味かというと、こういう「主人公はダメ人間です!」とハッキリ銘打った作品では、筆者が主人公を無理に弁護的擁護的に書いても白々しいが、だからといって、クールに突き放した視点を気取って「ホラ、こーいう人っているでしょ、困ったもんだねえ、あ、ボクは当然違うよ」と他人事視点で書いてくれてもまったく盛り上がらず面白くない。
島田雅彦の若い頃の短編『スピカ 千の仮面』もロリコンのダメ中年男が主人公だったが、まさにそういう、当事者意識なき観察的嘲笑だけで書かれた作品で、読んでてちっとも起伏も意外性も感じられなかった。
金井美恵子の『文章教室』にも、若い娘に懸想して、それを文学的に自己正当化する田山花袋のような中年作家が登場するが、その自己正当化のプロセスを、別に強い糾弾口調でもなく、淡淡と、しかし実にシニカルに浮かび上がらせていたのがうまかった。
スタンダールの『赤と黒』は、ウィーン体制保守反動時代のフランスで、ひそかにナポレオンに憧れる野心家の青年を主人公としていたが、スタンダール自身は安定した中年で、ちっともそんな過激な青年とは違うのだが、しかし「今の時代、きっとこんな青年がいる」という心情を、実にリアルに描き出していた。
で、歌野晶午女王様と私』、44歳にもなって引きこもりの主人公、真藤数馬の心情描写は悪くない、自己正当化ばっかりしてるが、時どき両親に申し訳なく思うくらいの善意はあるし、空想の「脳内妹」が彼をいつも賛美するのかと思えば逆にツッコミばかり入れているというのも却ってリアル(つまり、世間のツッコミを先回りで「わかってるよ」とポーズする思考、これも年季の入ったやめられないオタクの気質だ←他人事でなく)。
女王様少女が少々ツクリ過ぎではないかと思ったら、それもやっぱり計算の内だったし、主人公の性格から、オチも想像通り「あーあ、やっぱり」という感じで、この主人公に共感したり同情したい部分はまったくないが、その自己正当化思考のプロセス自体は、「ああ、こういう考え方するんだよなあ」と、すんなり理解はできるものだった。
で、推薦者が言ってたのは多分「今どきの女子小学生の実態が、読んでショック」という意味だと思うのだが、その点に関しては、ズレた感想で、わたしはむしろ「そっか、今の消費資本主義社会では、女子は『買い手』がつくから、モデルのバイトやったり売春やったり、出会い系に手を出したりして早く大人になれるんだ、くそっ、羨ましいよなあ、男子小中学生は、大人の世界に出てゆく回路が無いじゃないか」などと思ってしまった。
産業革命期のイギリスの炭鉱を支えたのは、年端も行かぬ男の子の労働者だったのになあ……

さらばタチコマ新たなる旅立ち完結編

今さらながら、深夜再放送が終わった『攻殻機動隊SAC2』。序盤から感じていたが、やっぱり、私的個人的にはパート1の方が俄然良かったと思える。
パート1は、前半、姿なき「笑い男」の事件をめぐる連続ストーリーだけでなく、一話完結の様々な単発事件があり、それらが『怪奇大作戦 未来版』のような雰囲気で結構よかった気がする。
要するに、パート1は、キャラクターやストーリー自体より「世界観」を見せて、「電脳時代でも人(の欲とそれが起こすもの)は変わらない」ということを様々な角度から見せた上、平穏な市民社会の中に溶け込んだ企業犯罪と官吏の不正を暴くものとして「笑い男」の事件が起きてきたというあたりの、リアリティの組み立てがうまかったんだと思う。
――が、それがパート2になると、一貫した連続ストーリーで、クゼというキャラの立ちすぎたテロリストを出して、難民問題だの、市街戦だの、未来の安保体制だの、大掛かりにポリティカルSFな要素を全面に出したはいいが、なんかリアルに迫ってくる気がしない。
要するに、当事者意識が感じられなかったのだ。
結局最後まで「難民」は顔のない群集でしかなく、個別具体性のある難民のキャラクターと、それを受け入れた日本の市民社会の一般人、また、難民を嫌悪する一般市民の差別感情(ここが重要!! ナチスとかを育てたのもコレだよ、大物右翼の陰謀家だけじゃなくてさ!!)とかいったものが、まったく描かれてない。
唯一面白かったのは、難民事件の自作自演を図る政府側のテロリストプロデューサー合田君が、自分の余りに平凡すぎる役人顔に嫌気がさしてわざと醜怪な顔に整形したとか、童貞を自称してた点とかだが……どーにも、村上龍『愛と幻想のファシズム』のゼロみたいな、黒幕演出家に回りたがる奴の、動機としてのショボい実像感とかがちっとも出てないし。
最終回、人工知能思考戦車のタチコマたちが再び自己犠牲で他の人間を救う場面はちょっと良かったが、考えてみると、この場面のためだけにパート1で一度死んだタチコマたちを復活させたというなら、宇宙戦艦ヤマトシリーズで、もう一度感動的に殺すためだけに沖田艦長を再登場させたのと同じようなものではないのか?

怪奇大洞窟 クトゥルー様の社

ちょうど丸一年前、はからずも「武蔵野シベリアの多摩グラード」を見物したが、先日いきなり、また取材と称して聖蹟桜ヶ丘(東京都日野市)などという場所に行ってきた。ハッキリ言って、友人が住んでるでもなし、こんな機会でもなければ行かないわな。
で、その「取材先」のひとつが桜ヶ丘公園、駅からえんえん歩いてったら、途中、閑静な高級住宅街の中にフランス料理屋が、うわ、ずばり『女王様と私』に出てきたような店?
と、桜ヶ丘公園の入り口前に、いきなり満洲開拓受難者慰霊碑が。
嗚呼、岸信介に唆され、松岡洋右に騙され、甘粕正彦に酒飲ませてもらったはいいが、満洲の土となった人々よ……とか思ったが、満鉄とも満映とも関係ない農村出身の素朴な開拓農民だったら、以上の誰とも接点ないままか?
で、聖蹟記念館、ちょうど別件の仕事絡みで、『明治天皇と日露大戦争』ほかの新東宝ラカン明治天皇シリーズを観た直後に、明治天皇ゆかりの地に来るとはなあ、などと思っていたら、異様な物を発見する。
ここの公園の森の中に建つ記念館には、明治天皇と幕末維新期の文物のほか、多摩の開発史にまつわる物も展示されているのだが、その中に、ガラスケースに入った、恐らくは戦前の多摩の観光パンフレットのようなものがあった。その表紙の右上の文言がなんか凄い
「帝都南郊の緑地々帯――怪奇大洞窟」
怪奇大洞窟って何だよ! 別府温泉地獄めぐりみたいなもんか?
パンフレットの発行者は「南武電車」、電話番号は、局番無しで、川崎とある隣に八桁の数字、電話が交換局を通してた時代のものか。
それにしても、中野区のせせこましい住宅街の中にいると、多摩の公園風景は、ちょっと新鮮だった。森の中にいきなり巨大な電線鉄塔が建ってる景色など、ありきたりのようだが、『新世紀エヴァンゲリオン』の一場面のように感じられてしまう。
で、帰る途中、駅のすぐ側に「九頭龍神社」があることに気付く。クトゥルー様だ!
これまた別件の仕事絡みでラヴクラフト読んでたら、何たる偶然、ではお参りしよう(おいおい、それはただの当て字だろう……)と、ふざけたことを考えて、公園の外れの社を探したら、おそろしく小さかった。お賽銭も入れなかった、だって、お賽銭箱がなかったから――でも、来た時に駅降りてすぐの赤い羽根募金には切符のお釣りちょっとだけ入れたから、それで天に財を投じた事には……ならんか