電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

中途半端な忠犬

『Z GUNDAM HISTORICA』06号「ゼータの鼓動」(講談社)発売。
予告どおり、キャラクターガイド「星々の群像」コーナーで、ティターンズきってのヘタレ犬ジェリド・メサと、ティターンズの野獣系ヤザン・ゲーブルをどどーんと概説。
……まあしかし、ジェリドの原稿書くため全編見返してる最中は○| ̄|_って気分になったよ、コイツ誉めるとこねえじゃん、と……
ヤザンは、Z後半、登場人物が理屈っぽいやつばっかになってる中、ああいうスカッと野獣なのが逆説的に見ててすがすがしい、ってのは良いんだが、深く考えると、それ以上でもそれ以下でも無し。
結局、原稿にも書いたが、ジェリドって、悪いコトすんのにも自分で自分に言い訳しながらという、あの中途半端さが、逆説的にリアルな人間くささなんだよな、と思う。
ヤザンシロッコも自分で自分に言い訳などしないからカッコいいが、じゃあお前ヤザンシロッコみたいになれるか? というと、そうでない人の方が多いはずだろう。俺もだ。
その意味で、ジェリドは、良い悪いでなく、なんか観る者の胸に残るキャラなのである。
そんなこの号の見どころは、ジェリドの不遇さを当人が追認してくれてるCV井上和彦氏のインタビューと、その次の頁に広がる、インタビュアーの愛が溢れた森口博子インタビューだろうか。そういや先日、よく有線とか流してる銭湯で「水の星へ愛を込めて」がかかってた。これもまた20周年。

誠心誠意の営業スマイルする倫理の退廃者

資料集めのため図書館に行き、ちょっと児童書コーナーを覗く。原爆やら空襲やら七三一部隊の蛮行やら「戦争はいけません」教育系の書物がいろいろ――しかし「戦争はいけません」って、とりあえず正しいんだろうけど、大きすぎて、現実の日常において自分は何をどうすればいいのか具体性が伴わないようなことばかりを教えててどうすんだ?
女王の教室』最終回みたいな話になるが、小学校ではそんなキレイゴトめいたお題目より、消費者金融ネットワークビジネスMLM)の有害さを教えた方が余程リアリティあるんじゃねえの? と思う。
そういや先日、消費者金融を批判するようなことを書いたが、先回りして言っておくと、ああいうことを書くと、消費者金融勤務の、おとなしい真面目な社員が「ワタシは消費者金融の会社勤務なんですぅ。でも、真面目に、普通にやってるんですぅ。こんなワタシ、ダメですか?」と、子犬のようなウルルンとした上目づかいで承認を求めて来やがったりする。
あのね、俺は、別に消費者金融が悪っていうより、消費者金融でお金を借りることがコンビニでお菓子を買うことのような気軽なものにイメージ操作されてて、ほんで何も考えずにカード破産とかする若者が出てくるのを問題視してんの(つまり、消費者金融より広告屋が悪いのか?)
だから、仮に消費者金融勤務でも、バカな客でも客は下手に出て甘やかす、ってんじゃなく、どう見ても「コイツ真面目に返済する気ないな」という客相手なら、毅然と「貴方にはお貸ししません」と言える人ならちゃんと尊敬しますよ。皮肉や嫌味抜きに。

資産運用話で300億円集め破たん、被害者の会結成
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050918i113.htm

この会社↑とは違うが、先日どこぞの証券会社の新人社員と名乗る女から、オーストラリアのドル建て債権だかなんだかを買いませんかと電話が掛かってきた。
で、最低限穏やかな口調を作った上で「そう言って年寄りの財産かすめ取る商法ですか?」と言ってみたら、そんなことはないと誠心誠意の口調で真摯に言い返してくる。仕方なく「いえ、わたしは、人間、汗水たらしてお金は稼ぐものだと思いますから、株とか証券とか一切やる気ありません」と答えて電話を切った。
ところが数日後、その証券会社の説明DMが届き、件の新人社員の名刺までついてる。わたしは速攻で捨てたが、後日また電話が掛かってきたので、業を煮やして言ってやった。
「あんたね、新人女子社員が見ず知らずの男に顔写真入り名刺なんか送って、俺がもし変な気起こしてストーカーなんかしたらどうすんの?」
以後、二度と電話は掛かってこなくなった。件の新人社員が、モテへん男を引っ掛けようという悪徳商法ビッチか、男の上司に言われてやってるだけの真面目でおとなしいバカな企業奴隷かは知らない。
だが思った、この手の輩は、うっかりすると、そう社員教育を受けさえすれば、誠心誠意の営業スマイルで真剣に毒ガスや細菌兵器の販売でもやるかも知れない、と。
ギャグではない。実際、悪質商法勤務者というのは、個々には態度が丁寧で善良なのだ。で、その延長上で善意でファシズムの手先になったりもする。自分が直接手を汚さなけりゃ、ジェリドのように自己正当化の言い訳しながら殺人兵器の販売ぐらいしかねない。
小学校では、あらかじめどこか自分と関係ない場所に、悪い政治家だか悪い軍人がいて戦争を起こして庶民は被害者になる、なんて陳腐な話より、こういう、うっかり自分自身が当事者になるかも知れないような倫理の退廃の具体例をこそ教えるべきではないか。

かわいそうなひと

以前、高学歴強姦集団スーパーフリーの和田とかは「自分らこそネアカ、イケてる、カッコイイ、自分らについて来れない奴はダサい、クラい」というノリ強要ファシズムだから許せん、みたいなことを言ってたら、魂の(退廃)貴族たる畏友奈落一騎君から「スーフリなんてあんなの可哀相な連中なんだよ」と言われた。
要するに、彼ら自身こそ「ネアカ、イケてる、カッコイイ」から脱落し「ダサい、クラい」と見なされるのを必死に怖れる余り、必死に騒いで躁状態を作ってる人たち、という意味なのだろう、と、頭では分かっているが、しかし、現に彼らは力があり、好き放題やってるけど、俺は何もないんだから……と思ってた。
ところが、先日、和田の逮捕以前、本気で和田に憧れ、第二の和田になろうとした男の実例話を詳細に聞いて、本当に怒りが萎えて可哀相な気になった。
要するに、典型的な田舎優等生の大学デビューで、優秀だが、異性に縁のなかったコンプレックスの反動から、とにかくナンパ一直線に走り、人にモテること、そのために向上して権力を得ることが目的の全部になり、それ以外、何がしたいのか、何もないという人だったらしい。
山田風太郎の『妖説太閤記』(isbn:4062738953)はまったく古びてないなと思った。
スーフリの手口「ノリ強要ファシズム」について:http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20050624#p2
(その前段、「みんな」の功罪について:http://d.hatena.ne.jp/gaikichi/20050624#p1

美しいもの「も」ある

――ふと気付いたら、またなんか気が滅入るようなことばかり書いてる。
だから、上で少し触れた『女王の教室』最終回の話。プロ教師の会みたいに、戦後民主主義的教育的キレイゴトを全否定してたら、結局ただのニヒリズムに行き着いてしまって、愚民を嘲笑うだけになってしまうのも寒い。
しかし、天海演じる真矢は、教え子に対し、世のキレイゴトを否定する一方、世の中には美しいものもある、ふと隣を見たらきれいな花が咲いてるかも知れない、蝶々が一所懸命に翔んでいるかも知れない、そういうものに感動できる心を失っては意味がない、とも言ってる。
そう、世の中には、美しいもの「も」ある。空を見てそればっか追ってても池に落ちるかも知れないけど。