電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

大日本帝国憲法は廃止されていなかった!!

在特会の高田誠会長は「日本国憲法は無効」と主張してるそうで、自民党にも同意見の議員(西田昌司)がいるそうだ。要するに、アメリカ軍の占領統治下での法令なんだから占領が終わった時点で無効という話らしい。
この「とんち」を思いついた人はドヤ顔だったろう。だが「とんち」なら逆の話も出せる。
文春新書の『明治・大正・昭和 30の「真実」』三代史研究会(isbn:4166603310)によると、なんと、日本国憲法大日本帝国憲法を正当な手続きで改正したものであるという。
同書によると、昭和21年(1946年)2月13日、GHQから「憲法改正草案」が手交されたのち、3月5日に昭和天皇が「憲法に根本的の改正を加え、以て国家再建の礎を定めんことを庶幾う。政府当局、それよく朕の意を体し、必ず此の目的を達成せんことを期せよ」という勅語を発したという。
大日本帝国憲法の第七十三条には「将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし」とあり、形式上は、大日本帝国憲法昭和天皇の勅命によって日本国憲法に改正されたことになるのだそうだ。
さらに、戦後の憲法記念日(11月3日)は、長らく明治節明治天皇の誕生日)として祝われてきた、この日を憲法記念日に定めたのは、明らかに明治憲法と戦後憲法の連続性を国民にアピールするためだったというのである。
どうよ?(ドヤ顔) いやあ本当に憲法って幾通りにも解釈できるんだねえ……。

自民党の日本中国化計画は成功か失敗か?

自民党改憲案では現行憲法の97条の内容(第十章「最高法規」の最初に出てくる基本的人権の保障)がごっそり消えてなくなっているという。
そうかそうか、中国みたいな人権弾圧国家が理想なのか。
しかしである、逆に考えれば、現憲法には戦力の放棄を謳った9条があるのに自衛隊が存在する。案外と、憲法改正が実現してもその日からガラっと日本が変わるようなことはなく、適当な「憲法解釈」で昨日と同じ状態が続くオチなんじゃないのか?
このへんを7月13日の浅羽通明講演のあと浅羽先生にぶつけてみたら、法学部卒で司法試験も合格してる浅羽さん曰く、どうせ法曹関係者や学者は、憲法の条文になくても他の条項から従来通りの解釈をひねりだすんじゃないのか、との見解。
法律の専門家は自分が大学で学んだ当時の法概念を簡単には捨てないもので、戦後も10数年間ぐらい大学の法学部じゃ平然と明治憲法に準拠した法講義が行なわれており、今の憲法が改正されても、法曹界や学者の間で「日本国憲法で教育された世代」が死に絶えない限り、法解釈はすぐには変わらんだろう……とのお話。
そういや、刑法で尊属殺害重罰規定(実親がいくらDVや実子レイプをしても、子供が親を殺したら普通の殺人より重罪)がなくなったのも、戦後やっと30年近く経ってからだっけ。

ハラキリは別腹

しばし前「日本の人権は中世なみか?」という話題が出た。

国連で「シャラップ」日本の人権大使、場内の嘲笑に叫ぶ(2013.6.14 08:14)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130614/erp13061408180002-n1.htm
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51791316.html

2012年に起きたPC遠隔操作ウイルス事件の捜査過程では、無実の容疑者に対して「虚偽の自白の強要」が平然と行なわれている。そら近代国家とは思えんわ。
さらに言えば、日本の人権概念が諸外国と違うところは、まず第一に「(中国の反体制デモ弾圧みたいに)公権力が人為的に人権侵害をやってるのでなければ良い」という考え方ではないか。ブラック企業の詐欺的雇用など、民間に起きる人権侵害の放置も公権力の責任のはずなのに、それは私企業の「私的領域の問題」として黙認される。
日本の人権概念の第二の特徴は、法的な価値観と別次元で世の人々の間に「切腹の思想」が生きてることのような気がする。
つまり「みっともないことをした奴は死なないといけない」「死んで責任を取った奴は罪に問わない」って考え方。日本の一般人に死刑存続派が多いのも多分そのためだろう。
だが、人権ってのは、対象となる人間がどんなクズでも人格とか品性と関係なく一律平等に与えられるから「人権」なのだ。
それと別次元に、美意識として「みっともないことをした人は腹切って死ね」って感情があるのは良いのだが、日本ではそういう「生き方の美学」みたいなものと、「法的な人権概念」を無理にでも一致させようとするから、話がこじれてるんじゃないのか?
確かに、もともと人権なんざ近代のフィクションであって建前である。近代以前からある地縁や血縁による共同体の助け合いやらで人が最低限の生活を送れるなら、人権だの生存権だのを明文化する必要もなかろう。
だが、昨今の保守論者は、地縁や血縁による共同体を必然的に解体する「なんでも自己責任」の新自由主義を一方で推進しつつ、社会保障は削減しようと言う。虫が良すぎる話だ。

私がモテないのはどう考えても自分が悪い!

某所でかような論議を目にした。

レイシストは女にモテる」
http://togetter.com/li/526583

この手の論議は「どんな女」にモテるのかを具体的に明らかにしなければ、永久に妄想のぶつけ合いの域を出ない。
確かにリベラルなインテリ女性であれば、男根原理丸出しの差別的男性は嫌うだろう。だが、少々差別的でも「頼りがいのある男性」を好む女性も多数いる。傲慢不遜な教祖気取りタイプの男に「私を導いてくれる」なんて思ってついていってしまう依存気質の女性だっている。かと思えば、自分が主導権を握れるような草食系男子を好む女性だっている。
この話は以前も述べたが、ミもフタもない結論を言えば、思想信条の左右上下にかかわらずカッコいい男はモテるし、カッコ悪い男はモテないのだ。
ここで言う「カッコいい」とは単なる顔の造形ではない、誠実さ、責任感、清潔感などの内面まで含むのは言うまでない。そしてそれは思想信条の左右上下と関係ない。

地方の男

最近NHKドラマ『あまちゃん』のミズタク(松田龍平)が一部で非常に人気らしい。
劇中では前半、かなりデフォルメ&美化されてるとはいえ、地方で地道に漁業や鉄道や潜水土木に従事する人間を描いていた中、ミズタクだけは嘘くさい作り物感があった。大体、芸能マネージャーといえば営業回りだの雑用だので超多忙だろうに、金の卵のアイドル候補を捕まえるためとはいえ、一地方に半年以上も張りつくとかありえるのか? と。
だが「東京編」に入ると、じつは芸能事務所では社長にもなかなか話を聞いてもらえず、どうも下っ端的身分らしいと判明、しかし意外なまでの責任感の強さと不器用さの持ち主とわかってくる……そら萌える人も出てくるだろうな。
だが、わたしは『あまちゃん』の男キャラでは俄然、種市先輩に注目する(ま、福士君は仮面ライダーフォーゼの弦ちゃんだからそんだけで身びいきってのもあるけど)。
東北の北三陸じゃあんなに主人公のアキにはカッコ良く見えてた種市先輩が、東京じゃ見事に男を下げてたのが痛烈。
種市先輩のカッコ良さとは、地方で潜水土木なんて第二次産業的な技能職が実体的に生きてる世界だから成立するカッコ良さだったのではないか。ところが、人も物も大量に消費される第三次産業都市の東京では、会社の都合で「技能に裏づけられた自分」を殺され、仕事の現場も差し換え自在のパーツにされる……そりゃ凹むわな。
わたし自身の地方在住当時をふり返ると種市先輩のような人物と親しくはなかった。でも、将来は家業を継ぐと言ってた先輩や、クラスメートで後輩に慕われてた運動部の部長とか、あんな雰囲気だった気がする。そして、そんな彼らが、そのカッコ良さを成立させる地元環境の解体によって寄る辺なくなっている可能性も、何となく想像できてしまう。
ついでに言えば『あまちゃん』の男キャラでは大吉さんのウザさが半端ない。何が困るって、まったく悪意や私心の自覚がないまま、二言目には「北三陸のため」と言う点だ。
話の発端で春子を騙して故郷に呼びよせる所からして公私混同だが、これはまだいい。黙ってろと言われたアキの失恋をCCメールで関係者全員に知らせるわ、ユイの家出阻止のためだけに国道まで封鎖するわ、それらが全部「地元のため」で正当化される。
無論、こうした大吉の行動は半ばギャグとして描かれているが(杉本哲夫の目を剥いた演技が絶妙)、ドイツ軍将兵の四分類なら、ほぼ「無能な働き者」じゃねえか!
彼は平和な日本の地方の駅長だから良いものの、うっかりスターリン時代の旧ソ連ナチス時代のドイツで地方の警察署長とかになっていたらマジで怖い。「地元の平和のため」と称して、自分と相容れない人間を片っ端から強制収容所送りにするのではないか?
……たかが大吉さん相手に何言ってるんだ? と突っ込まれそうだが、実際、地方ではこういう、当人には悪意や私心がないまま、何か勘違いした方向に全力で努力する公務員によって、無駄な公共投資が起きてるんじゃねえのかなあ……という嫌なリアルさがある。