電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

鬼畜米英撃ちてし止まん

『花燃ゆ』は観てないが、かような事件があったらしい。

NHK大河 「日米戦争」を「日仏戦争」に歴史修正していた
http://www.news-postseven.com/archives/20150616_329418.html

記事中にある、下関戦争で最初に攻撃した相手をアメリカではなくフランスに差し替えた理由は、あくまで憶測の域を出ない。そこで斜め下にツッコミを入れる。
脚本家やNHKのスタッフが「軍艦ではなく商船を、しかも不意を突いて狙った」のは日本人の恥と思って描写しなかったのであれば、そっちこそ歴史の捏造だ。
恐らく当時の日本の攘夷主義者にとって、西洋人は軍人も商人も区別はなかったのではないか? むしろ、その心情を彼らの視線できちんと劇中に描写すべきだ。
欧米人が勝手に決めた戦時国際法での軍人と民間人の区別がどうあれ、19世紀に西洋列強がアジアに乗り出してきた当時、軍人のみならず民間商人もある意味では充分に侵略の手先だった。
アヘン戦争は、英国の民間商人が清国にアヘンを売りつけて清国の風紀退廃を招いたのが原因だ。同時期のインドでは、英国の綿織物工業の進出によって、地場の繊維産業がすっかり壊滅してしまった。反対に、のちの日露戦争では、民間企業の三井物産の社員も日本に迫るバルチック艦隊の情報を海軍に提供していた。
そうした「当時の価値観」を、現代の感覚で簡単に「なかったこと」にする概念操作の方が、敵対国の差し換えなんぞよりもよほど問題に思える。

放火魔と呼べばかっこいいが炎上屋と呼ぶとダサい

深夜に『攻殻機動隊ARISE』を観てたら、なんか超ベタな解釈が思い浮かんだ。
今回の劇中にはファイア・スターターなる電脳ウイルスが登場し、これに感染した者は疑似記憶に操られて集団で他者を攻撃する。
劇中バトーはあっさりこれに引っかかって、自分が経験してもいない事件のため当人は正義感100%で全力で少佐と敵対してた。
このファイア・スターター感染者って、つまりネットで仕入れた情報と自分の自発的意志の区別がつかなくなったまま、正義感を振りかざしてる人のメタファじゃないの? それこそ「ネットde真実」とか言ってる人たちとか。
(実体験でもない記憶のため狂った正義を振りかざす人たちの寓話なら『ONE PIECE』の魚人島編でも出てきましたっけ)
終盤に出てきたパイロマニア(放火魔)なるキャラは、ファイア・スターターの信奉者でこのウイルスをまき散らしていたようだが、そいつ自身の思想など何もなかった。これって要するに、主義主張はどうでもよく、多くの人間をネット上の炎上に参加させる「炎上屋」じゃねえの?

うれしくない予言的中

3年前にこういう文章を書いて「ヒロインはネトウヨ少女」という作品の登場を予言してたら、ご存じの通り、なんか青林堂から『日之丸街宣女子』ってのが出てる。
http://www.garo.co.jp/comic/hinomaru.html
すぐ翌年とか逆に10年後とかなら「驚くべき予言的中!」となるところだが、3年って中途半端でイマイチだよなあ。ドヤ顔したいけど覚えてる人いないだろ。
でもこのセンス、やっぱり普通に恥ずかしい……主張内容が反原発やら反差別の方であったとしても同様。

オタクにとっては史実の悲劇性さえ同人誌のネタ

上記の3年前の記事で書いてたような「男の子の好きな趣味と少女キャラの融合」といえば「艦これ」なのだが、この作品が「正義で強くてカッコいい大日本帝国バンザイ!!」という心情の育成に一役買ってるかというと、少し疑問を感じてきた。
どうも艦これのシリアスな二次創作を読むと、描き手が真面目に史実を意識した作品ほど、艦娘が前世で撃沈されたときのトラウマだの、仲のよかった僚艦が一人また一人と撃沈してくだの、戦争が終わって平和になったけど戦友は還ってこないとか、史実の陰惨さを反映した悲劇性の高い作品が多い。
そりゃ敗北した戦争で、連合艦隊のほとんどの艦は沈んだんだから当然だが。
しかしその手の二次創作をみてると、遠からず「特攻隊が題材のBL」が流行するまであと一歩じゃないか? と本気で思う。
おい待て! 石を投げるな! 歴史物で腐女子が大好きなネタといえば、それこそ『三国志』の武将とか新撰組とか、男ばっかりが結束した集団での、戦友、主従、ライバル等々の男同士の熱い絆と相場が決まっている。
いわんや、新撰組やら白虎隊のように、劣勢に置かれて滅びを前にした集団の結束と来れば、悲劇的なロマンを感じる人は多い。青春をなげうって滅びゆく大日本帝国に殉じる若い男たち同士の熱い友情――三島由紀夫なら大喜びしそうだ。
海軍出身の笠原和夫も、男ばかりが乗った軍艦じゃホモセクハラは日常茶飯事だったと証言してる。倒錯退廃耽美系の女子にはナチスも人気が高いが、講談社選書メチエの『愛と欲望のナチズム』(isbn:4062585367)を読むと、実際にSSは男ばかりで結束した男尊女卑的な集団だったのでほっとくとホモの巣窟になる気風があり、ヒムラーは何かと親衛隊員に女をあてがうよう計らっていた模様。
当然「特攻隊員のBLなど英霊への冒涜!」と怒る向きもあるだろうが、帝国海軍の艦艇を女の子にして「被弾大破したら服がポロリ」なんてゲーム内容のうえ、そのキャラの百合二次創作を楽しんでいる時点で、文句を言う資格はないだろう。

「津山三十人殺しは明治憲法のせい」ですか?

以前も述べたが、わたしは1990年代当時から改憲の必要を意識していたけれど、現在の自民党改憲案に対しては「9条に侵略に対する自衛権を加える以外に余計なことをするな!」と言いたい。
どうも自民党憲法国民の道徳を矯正する装置と本気で思い込んでるらしい。
でもよお、大日本帝国憲法が発布された時には、大多数の人間が「絹布のはっぴ」がもらえると勘違いして喜んだぐらいだぞ。小学校卒が大部分だった戦前の日本人が、憲法の条文を意識して生活してたとかとても思えない。
本当に戦後憲法の導入以前は道徳的だったのなら、なんで津山三十人殺しとか阿部定事件とか死なう団事件とかが起きたんだよ?
仮に戦前の方が道徳的だったとして、それを支えていたのは結局、農村中心の共同体での地縁血縁とか、戦前の社会構造自体に依存したものだったんじゃねえの。
農家や個人商店のような「家業」がすたれて一億層サラリーマン世帯化が進んだ現在、少子化問題に対して昔ながらの家族観の復活を説く愚策にも共通することだが、社会構造自体が変わったのに精神論だけ昔の物が通じるわけはない。
もう何度も何度も書いてることだが、昔と今の良いとこ取りはできないのだ。