電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

中上健次の作風のひとつは

戦後日本の知識人たちにとって、一見して単純な二元論対立図式で見られてきた、戦後の「近代」と「土着」が、現実の地方の現場では複雑に入り組んだ形で存在していたことを描ききった点だとわたしは思っている。
日本の文学者の多くは、単純な、都会に出てきた青年の挫折や、逆に、近代に疎外された地方にこそ真の人間性がある、とかいう図式を取りたがったが、『岬』に始まる中上の紀州三部作は、そんな単純な図式で済まない現実を活写しようとした。
紀州の路地の地域経済を支配する土建屋の地上げ王の浜村龍造は、地縁血縁の愛憎渦巻く路地に初めマレビトとして現れ、いつの間にやら土着の住民の暗黙の欲望を代行して土着の路地をぶち壊し、その一方では涼しい顔で「仏の国を作る」などとほざく。単直に言えば、浜村龍造とは、プチ田中角栄なのである。あと、これを言うのは無粋だが、背景には部落差別の問題が漂っている。
では、そんな中上ワールドを、ICU卒で外資系商社に勤務し海外ミステリばかり読んでたという高村が、なんで好んだのだろうか。