電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

そのキーワードは「大阪」か?

高村は大阪育ちである。大阪は日本第二の大都市であるが、東京とかと比べれば、狭い土地の中に、昔ながらのわかりやすい社会階層の格差の混沌が目に見えるように残っている都市だといえるだろう。
高村は、子供の頃から大阪に住みながら、遂に頭の中が日常会話の関西弁にならず、書物の言葉の標準語で完成してしまった、「赤毛のアン」を地で行く文学少女だったようだが、それでも彼女は作品に、在日朝鮮人やら町工場の工員やらを出さなければ気がすまない。
要するに、そういうのが嫌でも目に付く環境で意識が育まれた、ってことなんだろう(アイルランドを舞台にした作品も、結局その背景は民族と宗教の生臭い泥臭い対立にある)。
と、いうわけで『晴子情歌』は、『枯木灘』と『赤毛のアン』のアウフヘーベンという、まったく他に誰も思いつかない組み合せの合体物だとわたしは思うんである。
もっとも、その視点もまだまだ生硬で理屈くさく説明くさくはあるのだが(日本の土着の常民の母が息子への手紙でTSエリオットの引用なんか書かない、という指摘があった)、中上健次が死後、神棚に祀られるという風化を遂げる一方、恐らく蓮實重彦柄谷行人もまったく想像しなかったろう場所から中上の継承者を目指す者が現れた点には期待したい。