電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

革命・戦争という祭の神輿

ロシア辺境のなんとかかんとンスク村、1905年に開通したシベリア鉄道が走ってるが、村人は誰も列車に乗ったことは無い、自分達の世界は、森と畑しかない近所の数エーカー四方、たまーに列車を使ってやって来るのは、偉い怖い役人か、流刑の囚人だけだ。何でも都じゃ革命とやらがあって、皇帝様は退位したげな、んだども革命って何だべさ? 新しい皇帝様がこのレーニンとかいう人だベか? また怖か人じゃろか。
村の少年なんとかかんとンスキーは、時々、無人の線路に立ち、遥か何千kmも彼方のモスクワとかペテルブルグのことを想像するが、何もわからない。
と、ある日、その村にトロツキー装甲列車が現れる。支配と圧政に慣らされた村人は、軍隊が列車と共に現れた時、新たな皇帝の軍隊が自分たちを制圧しに来たのだと脅える。しかし、その軍勢を率いていた山羊髭の小柄な男は、辺境の民に向かってこう言うのだ。
「我々は君たちの軍隊である。我々は君たちを解放するために来たのだ」と――
右も左もわからん民百姓達が、このマレビトの伝える、生まれて初めて耳にする革命の情熱とやら、とにかくこれからは自分達民百姓が主役の世だ、威張った地主や貴族をぶちのめせ、という言葉にうっかり乗せられたとしても、おかしくはなかったかも知れない……
――ある意味、ナポレオンが初めて王侯貴族の軍隊ではない国民軍というものを率いて起った時も、またどこの国の革命期でも(案外と日本の幕末の、維新勢力の中での奇兵隊や、佐幕勢力の中での新撰組も)こんなものだったんじゃないかなあ、とか思うのである。
で、その後、国内戦が終わり、革命の興奮も冷め、秩序と平穏な日々を求める声が高まると、人民を煽るだけ煽ったトロツキー自身は、やり逃げのように追放されるわけだが……大衆に持ち上げられて皇帝にまでなったナポレオンが、祭の済んだ後の神輿のように使い捨てられたように――