電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

言論の自由に逆らう自由

先日人権概念というものについて軽く書いたが、似たような問題を孕むものに、言論の自由というやつがある。
一般に、民主主義を謳う以上、言論の自由というものは、とにかく無条件に保証されるべき、と思われているが、すると「悪徳商法マニアックス」に圧力を掛けた某社のように「自作自演の自画自賛を第三者の評価のように見せかけて流通させる自由」とか、また「事実の一側面ではあるが、差別的、誹謗中傷的意図を強調した意見を流通させる自由」というもの認めなければならなくなる。
「基本的には言論の自由を認めるが、悪意のある表現は認めない」という立場もあるが、いかに「民主的な良心に沿った検閲」でも検閲であることに変わりは無い。
19世紀の革命家業界で、権力の善用=プロレタリア独裁を唱えるマルクスと敵対し、一切の権力の否定=アナキズムを唱えたバクーニンは「『条件付きの自由』というのは、そもそも言葉の矛盾だ」と言ってたそうである。