電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

近代主義者が「目に見えないもの」を語る困難

どうも、援助交際女子高生みたいな生き方は放置してれば自然に基準が定着するとか、文化の自由放任主義者と思われた宮台先生も、さすがに最近、無形の文化の重要性みたいなものを説かねば成らない責任感に駆られてか、例えば「魂」とかいう言葉を使い始めているようだが、どうにも苦しそうに見える――
(ちなみに、宮台先生がよく「大麻を合法にしても荒れない」と肯定的に引き合いに出すオランダをはじめ、ヨーロッパ人に、個々人のレベルで合理性だけに落ちない倫理観があるのは、キリスト教文化圏だからじゃないのか、とか言ってたら、「それも過大評価じゃないか。向こうにも聖書も読んだこともない人も多いっていうし」と返されてしまった。それも一面然りか)
――というのは、これは半ば偏見だが、宮台の愛読者になった人の最外延部というのは、多分「宮台はシャープで理知的だからカッコいい」という理由で宮台を好む近代主義者じゃないかと思うわけだが、そんな客層相手に「魂」とかいう言葉を使い始めると、即「あ、コイツも遂にオカルトに走り始めたか」と、安直にソッポを向かれてしまうんじゃないかあな、という気がするからだ。
実際、具体性のある土壌がないところで精神論を唱えると、勢い一足飛びに観念的に誇大解釈されがちな問題はあるし、東などはそれを生理的に警戒してるのかも知れない。