電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人肉ラーメンチャシュー抜き

深作欣二『軍旗はためく下に』を観る。深作版『ゆきゆきて神軍』+『野火』(大岡昇平)と呼ぶのは少し単純すぎるかな。
本格的な感想はとても一言じゃ書けないが、変に印象に残ったのが、ニューギニア戦線の実録映像の中のテロップで、「戦死者」ではなく、戦場に着く前に乗ってた船が撃沈されての「溺死者」が何千人、戦うまで無くマラリアに倒れた「病死者」が何千人、食い物が無くて死んだ「餓死者」が何千人、と、わざわざその「戦死」ではなく「溺死」とか「餓死」という語句に下線まで引いて強調してた点だった。
敵と戦って鉄砲に撃たれて死んだならまだマシ。名誉も意義もまったく無く、虫けらのような死がまったく珍しくなく転がっている情況があったのだ。
翌日『AERA』を読んで相変わらず、アダルトチルドレンだのDVだのこころの時代とかいう字句を目にすると、ハア? 何じゃそりゃ? と思ってしまう。
丹波哲郎の富樫軍曹は、不名誉の上官反抗者とも、横暴な上官から部下を庇っていた温厚な下士官とも、戦友を殺してその肉を食った鬼畜とも伝えられる――案外と、実際一人でそうした多面性を同時に持ちえた兵士も大いにあり得る。
劇中では、公然と部下に死を命じる行為や捕虜の虐殺やら同士殺しや人肉食といった戦場の狂気が描かれるが、これは、単純に人間性がぶっ壊れてしまい切った状態というより、なまじ、同じ死でも無意義な死はいやだとか、自分だけ汚れるのはいやだとかいう人間性が残ってるばかりに、頭がおかしくなってしまったように見えた。
元より人間性などない無感情な奴だったら今さら狂いはしないのである。もっとも、今日のエンターテインメントでは、一面、そういう奴こそがクールであるという描かれ方をされがちだが、綾波レイじゃあるまいし、そんな奴はいねえ、っての。