電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

正義が成立しない時代におけるヒーローの動機

深夜アニメの「忘却の旋律」を観る。マンガ版では、主人公が立ち寄った町は、住人たちが、モンスター(本来なら悪者)のお陰で経済的恩恵を受けてて、そのためモンスター(本来なら悪者)と戦おうとする主人公が一般人たちから袋叩きに遭う展開が、「ガンバの冒険」のノロイの暴威に甘んじて屈してるネズミたちの話のようにエグく展開してた(主人公が当地の娘とかなり仲良くなってみたら、実はそれが敵で、土地と仕事に呪縛されたその娘もかなり本気で、無責任な…もとい自由な主人公に憧れてんだが、そんだけに最後で敵対をやむなくなった時のお互いの辛さが倍増)が、アニメじゃ天上桟敷ばりの前衛的演出も却って災いしてイマイチ。
(例えば、モンスター(本来なら悪者)に従ってる人々がみんな同じ顔をしてる、ってのは「自分からファシズム的環境にはまってる人間」とかいう象徴性の演出意図なんだろな、とは思うんだが、手抜きにしか見えない。本来違う人間でもその時はみんな同じになるのがファシズム的陶酔なのだ。服装も体型も違う人間がみんな同じ仮面をつけて同じ挙動をしてる、とかの方がらしいと思う)。
戦っても感謝されず虚しく街を去る主人公に、しかし戦士だけに見える(少女の姿をした)「忘却の旋律」が優しく慰めるような顔をするが、ミもフタもなく言えば、それが「アフリカの光」で、田舎町で袋叩き遭うショーケンの主人公を陰から見守る桃井かおりと同様(って、こんな喩えを出しても誰も知らんだろうが…)「♪憧れたって 何になる いやしないのさ そんな人」(井上大輔「風にひとりで」/ガンダム「哀 戦士」B面の名曲!)ってなもんで、そうボッカ的(牧歌的)には行かないのだが、それを言っちゃあ可哀相過ぎ、というかヒロイズムも何もただ元気が無くなるわけだが(笑)