電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

当事者意識のない真性二次コンおたく待望論

『創』7月号の岡田斗司夫×唐沢俊一連載対談第一回を読む。
なぜかいきなり浅羽通明氏の名前が出てくる、一生懸命背伸びしてスノッブを気取りたいタイプのおたくでも浅羽の本なんて今じゃもう読まない、という話か。
岡田&唐沢両人のご意見、一口におたくと言ってもジャンルが細分化し美少女キャラ萌えおたくだけを取り上げられても云々(鉄道オタもいれば軍事オタもいればウヨサヨ思想プロパガンダ記号オタとかもいる)、とかいう辺り、確かになんかもっともなんだが、その一方で、本当に、ゲームやアニメの二次元美少女キャラだけで自足できて現実の女の子には興味ないという完全な二次コン(二次元コンプレックス)はいないのか? 二次元美少女キャラ萌えを自称してるくせに現実の女の子にもモテたいと思う奴はヘタレだと力説する。どうも彼らは「俺は本当に二次元美少女キャラだけで良いです」という「真のオタク」が出現してくれないか、それが見たくてたまらない、と、観察者の興味本位で、しかし本気で思ってるらしい。
――だがちょっと待て、そう論じてる岡田&唐沢両氏自身、妻子持ちで、つまりおたくでありつつ一般人らしい家庭の幸福を求めた人間ではないか! その自己言及がないまま、自分の一方的理想と願望で究極のオタクかくあるべし、と語る姿は何かに似ている。そうだ、かつて宮台真司が、逆立ちしたって自分自身は女子高生ではないし女子高生にはなれないのに、自分の一方的理想と願望で、自分のムカつく既存の日本的社会システムを爆砕してくれる画期的な新人類としての女子高生、などというイメージ像を勝手に作っていたのと同じようなものではないか?
北海道在住の畏友某氏は「鉄道オタクとかならいざ知らず、ゲームやアニメの美少女キャラに惹かれる人は、現実の女の子に興味があるからこそゲームやアニメの美少女キャラに惹かれるんじゃないですか?」と言ってた。そう、エロゲーやラブコメの需要の根底にあるのは、絵だけじゃなくて、コミュニケーションの物語への欲求、ってことだろ。
まあ、岡田&唐沢氏がそれで何を言いたかったかというと、どうも「俺は本当に二次元美少女キャラだけで良いです」と言えるくらい一般世間的には歪んだ奴でこそ、しかしオタクの世界では、真にぶっ飛んだ個性的な仕事をできるのではないか、という、ある意味での「芸人はキチガイでこそ本物」論とも読み取れ、ならそういう考え方自体に異論は無い。
無論、社会性の無いキチガイなだけで自己正当化してる無芸の奴は論外だけど。