電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

あらかじめすり替ってた(と俺には思われた)保守革命

しかし、当時はオフレコと言われたけれど、今じゃもう時効だろうから暴露するが、1999年頃"当時"大月隆寛氏はわたしを含む周囲の人間に、つくる会内部で小林よしのりの急速な右旋回をどうにか舵取り修正しようと苦労してるが、会内部の人間関係が難しくうまく行かない、と困惑を吐露していた。
これはより正確にいえば、"当時の"小林よしのりの急速な大文字大局論化、ということであろう。
"当時の"大月氏自虐史観イデオロギーを批判したが、だからって別に「大東亜戦争亜細亜解放の正しい良い戦争で云々」というイデオロギーを唱えたかったわけでもなかった。
どうもわかりにくいだろうが、大月氏は、庶民大衆のイデオロギー化される以前の生活実感に基づく本音みたいなもんを重視する立場で、だから戦争評価にしても、左翼史観の教科書じゃ、まるでただ「戦時中の日本兵=残虐な軍国主義の走狗」と人格などない悪者扱いだが、そりゃさすがにおかしいだろ、個々の兵士はみな普通の人間だったはずだ、「戦争=とにかく悪い」というが、じゃあなぜそんな戦争が起きた、そりゃ民衆自身の中にも戦争の楽しかった奴は多くいたからに決まってるだろ、だから戦争に関わった個々別の人間像をちゃんと見よう、という視点だったのだろう。
それこそ、後に大月氏つくる会をやめた後2000年に刊行した『あたしの民主主義』に岩下俊作のナイスな名文を引用してる。

とつぜん柴崎が、日本中が貧乏しとる、どうなるんだろうと不景気の奴にいじめられてビクビクしとる。どうなるんだでは駄目だ。どうとかしなけりゃ、こんな元気のない日本をしっかりしろと殴りつけんことにはいかんじゃないか。
戦争! いいなあ、にやけたモダンボーイが消えて了うだけで景色がいい。
――岩下俊作『青春の流域』

邪悪な戦犯でもご大層な英霊でもない、こういう、戦争に与した何の変哲も無い庶民の本音の声を繰り込んだ歴史観を持とう、と、大月氏は言いたかったのだろうと思う――と"当時"わたしは勝手に受け取り、そこに共感てしたつもりだった。
しかし、こういう「ミクロな人間観」への視座というスタンスは、とにかく「戦争は悪い日本は悪い」あるいは「いや日本の戦争は正しかった」と簡略に集約できる、大局的な大文字イデオロギー的物言いに比べ、勢いが無いし、地味で、わかりにくい。
小林よしのり自身はそもそも、戦争に参加した爺さん達が、左翼史観では一方的に「戦時中の日本兵=人格などない悪者」とされるのに、いや爺さん達だって本来個々には愛すべき普通の人間の筈じゃないか、と思想以前の「ミクロな人間観」から疑問を抱き(その義侠心自体はまったく正当だろう)つくる会の運動に乗った筈だったが、会に集まる人々、西部邁なり西尾幹二なり藤岡信勝なり「イデオロギーの専門家」の「ノリ」などに浮かされ、勢いづいて当初の「ミクロな人間観」より、「大東亜戦争亜細亜解放戦争で日本は正しかったのだ」という大局的な大文字イデオロギーの方に大いに比重を傾けてしまった。
しかしこれでは、人間観ではなくイデオロギー先にありき、ってことじゃ左翼側と同じともいえる、だが、若い学生は、圧倒的に「ミクロな人間観」をすっ飛ばして(これは若い人ほど、人生経験がない分、人間観への想像力が足りないのもあるだろう)大東亜戦争肯定(=日本は良い国正しい国→そこに生きてる自分も良い子正しい子)のイデオロギーに飛びついてしまった。かくして、いわゆる「コヴァ」大発生、とまあ、そんな自体にどうしたものか、俺の志とずれてきちまった、と……と大月氏は頭を抱えたのであろう。
(ただ、これにには、つくる会幹部の中で、大月氏は唯一、右であれ左であれ、今さら大局的大文字の歴史観や政治思想を正面から大真面目に語るのは何かダサい、という価値観が主流を占めた80年代世代だったことと関係あるのかも知れない)。
結局、大月氏のスタンスっては、つくる会をやめた後の2000年に刊行された『あたしの民主主義』にまとめられてる。わたしは2000年"当時"それを勝手に補完解説するつもりで、以下のような文章を書いたこともある。
http://www.axcx.com/~sato/atamin.htm