電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

わたしは「つくる会」の幹部を支持してました

98年頃当時、わたし自身はどういう立場だったか、古証文を引っ張り出す。
"当時"わたしは、新しい歴史教科書をつくる会に与した大月隆寛氏を擁護する論を張ったことがある。
http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log1051.html
上記の文章を書いた背景は、当時わたしがやってた掲示板に大月隆寛氏が出入りしてたのを見たある人物が、つくる会に批判的な佐藤亜紀女史の文章を無断引用して、
http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log511.html
月氏がこれにレスをつけたら
http://www.axcx.com/~sato/memo/log/log551.html
今度はそれを佐藤亜紀女史に垂れこみ、佐藤亜紀女史が下記の一文を書いた
http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/tamanoir/mdata/monk26.htm
ことへの返答になってる。(背景の説明だけで随分とややこしい)
わたしが佐藤亜紀女史に書いた意見には、今生きてる俺らは、それが良くても悪くても、爺さんの世代や親父の世代があって、それが切り拓いた歴史連続性の積み重ねの産物なんだから、たとえ爺さん世代が現在の視点から見ておかしくても、それを他人事のように批判する左翼歴史観は無責任でおかしいんじゃないか、という考えもあった。
(ただし後、『正論』の巻頭コラム連載で、どうもこの佐藤亜紀女史は本当に頭の中が半分ヨーロッパ人みたいで、俺個人としては性に合わないかも知れないが、反世間主義者としては骨のある尊敬に値する人でもあるとは大いに認めるに至った)
"当時の"大月氏のこの発言とか、今読んでも、結構いいこと書いてるとも思える。

でも、「タテマエ」は全て偽善だ、てなことだけ言ってちゃ
てめえひとりの安心立命はできるだろうけど、
「人の為に善いと書いて偽善」(by濱田マリ)なわけで、
それが偽善であれ何であれ、
「人の為に善い」とされる「タテマエ」がひとまずないことには
そこから先の、それこそみなさんお得意の「ツッコミ」だって
入れようがないでしょうに。

でも、偽善を暴き続けるだけで人間、ずっとやってける人ってのは
良くも悪くもそれが可能な恵まれた条件にある人だけだと思います。
まして、学校という場で教師という仕事に要求されるのは、
そういう「タテマエ」の「偽善」であっても
人間が生きてゆくには必要なんだ、ってあたりも含めて
身にしみるように教えることのはずで、

"当時の"大月氏のこの発言は、戦後民主主義左翼の歴史観は、国家も戦争もとにかく悪いとばかり教えるが、じゃあ何が良いのか? これでは主体の無いニヒリズムしか残らないではないか、だから、タテマエだと自覚しつつも、日本を、歴史を肯定するタテマエを建設しようぜ、という志向だったのだろうと思っている。