電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

取り残された90年代前半のナチス突撃隊

と、なんだか大月氏の話ばっか書いてきたが、わたし個人はどんなスタンスだったか。
まずわたしは、90年前後に、当時の別冊宝島(『おたくの本』『80年代の正体』他)の浅羽通明氏や大月隆寛氏の文章で、当時はエコロジーとか湾岸戦争反戦運動とかが、「こういう問題にも関心ある、知的な、ナウくて、カッコいい、正義の側」を気取るファッションとして流行ってたが、そういう社会問題を語り反体制言説を唱える前に、他ならぬ自分自身も資源を浪費する社会システム、自民党アメリカの作った戦後の豊かさに乗っかって生きてきたことを自覚しろ、足場への当事者意識なきまま大局的大文字イデオロギーの正義を唱えるのは欺瞞だ、という指摘に触れ、かなり頭をガツンとやられたクチだった。
だもんだから、ああそうだ社会に文句つけるより順応して一人前にならないといけないんだ、と義務感で単直に過度に思い込み「俺は最底辺の人間だが社会に順応しようと努力してる、だってのに俺よりずっと学歴も収入も高いはずの人間が『俺が生き難いのは世の中のせい』とか甘えたこと言うな」という感じに、反管理教育運動とか、だめ連とかには反発してた(だがそれは、今にして思えば、自分は「だめ」で、脱落者で、と正直に吐露できてる人々への嫉妬だった面もあったと思える)。
しかしこりゃルサンチマン反動右翼である。余りその度がひどかったんで、畏友bakuhatugoro氏などからは「お前みたいなのが、関東大震災が起こった時、自分自身が市民社会の多数派から疎外されるが怖さに、極端に多数派に順応しようとして、率先して朝鮮人虐殺に走るんだ」などと言われたものである(→ココ、わたしは左翼だと思ってる人は驚いてくれ)。だから、それではさすがにいかん、と、人間観を修正、回心したつもりでいる。
ところが、90年代後半、昨日書いたような流れの果て、いつの間にか時代は一回転して、なんだか世は差別全開のルサンチマン右翼オッケーになってしまったように見える。だが、そうすると、今度は何かがすりかわってしまったようで、今さら乗れないのである。
(というか、表面的な左右は別にして、構造自体に関して言えば、90年代前半、未熟な若者がどっかの大人を悪者にしてエコロジーや湾岸反戦を叫んだのも、昨今の若者の「日本は一切正しい自分は一切正しい、あいつらだけが全部悪い」という反日勢力批判の思考も、それを言ってる自分の足元直視はすっ飛ばして、どっかの悪者を批判して、いっぱし「正義」を身につけたつもり、って点じゃ変わらんように思えている)
先日書いた「ロリコン妹萌えオタなんかむかつく」も同じ構造を感じてる。90年代前半、まだ宮崎勤の事件の記憶も強かった時期は、そりゃオタクとかロリコンとかいえば恥ずかしいもんでというプレッシャーがあった、だから、少女が好きでも、現実には断絶があることを考えざるを得なかったり、また自己正当化の理論武装に頭をひねったりが求められたわけだが、その格闘、葛藤がオタクの成長の契機、試練だったと思う。ところが、90年代後半以降、こんだけオタク産業が隆盛し欲望にド正直な萌え商品が堂々と世に溢れると、オイさすがに何か違和感あって俺は乗れない、というようなことである。