電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ルサンチマン右翼にさえなれないダメ野郎を

――と、以上を、これは要するに「俺が90年代前半屈折混じりに考えてたことを、最近の若い奴はてらいもなくストレートに言う、じゃあ俺が若い頃シタバタしてたのは何なんだ、悔しい」というボヤきじゃないか、とツッコミ入れることも可能である。また逆に「ああやっと俺が以前から思ってたノリの方が主流の時代になった」と、現状に乗る手もある。実際わが同世代にはそういう方もいるようだ。
ま、自虐的な言い方をすれば、わたしは負け組が好きってことなんだろうが、前向きに言わせて貰えば、わたしは欠落やルサンチマンを直視するのに誠実でありたい、ってことだ。
先にだめ連への感情を書いたが、さてダメ人間表現者の現代最新版でわたしよりずっと若い滝本竜彦には嫌な感じはしない。滝本は『NHKへようこそ』の冒頭で、「この世の裏は全部CIAだがユダヤフリーメーソンが操ってて云々」とかいう言説でもって、結局、俺が不幸なのもそのせいだ!とかいう陰謀説というものは、イケてない人間のルサンチマンの産物だ、としつつ、それを自覚しながらも陰謀説を求めてしまうダメな男の話を書いてる、それも決して他人事として「いやあ、こういう人っていますね、困ったもんですね」とバカにして笑う姿勢でなく、自らそんなダメさを楽しんでもいるし、笑えるものとして書いてる(と、そんな奴に自分から関わる女の子が出てくるのはやはり安易とは思うが、まあそれがなきゃ商品にはならんからだろう)。
滝本はルサンチマン野郎だが、だからって安易に「チョン氏ね」とか差別には行かない、行けない、俺が「自分でない悪者」を求めてしまうのは、俺自身がダメ人間だという事実を直視したくないからだ、というところまで目が行ってしまうからである。だが、それが自覚できるには、もう本当に逃げも隠れもようないくらいダメ人間であることが必要なのかも知れない。こういう滝本は不幸かも知れないが、誠実ではあると思う。
わたしもせいぜい、ルサンチマンを大局論にすりかえず自分の欠落に率直でありたいとは思う。