電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

親父は70年代で既に終わってた

長谷川和彦監督の新作『連合赤軍』がずっと撮影開始もできず難儀してる。わたしは、今あえて連合赤軍の映画を撮るなら、彼らは国家権力・父権・天皇制とかに負けたんじゃない、市民社会に負けたんだ(というか自滅だが)、そう描かなきゃダメだ、と思ってる。
連合赤軍の中じゃ貧乏労働者左翼の京浜安保共闘出身の永田洋子とかには、マジで自分らは資本主義権力に搾取されてる、とかいう怨恨意識もあったんだろうが、裕福学生左翼の赤軍派出身の森恒夫らは、むしろ、日本は既に豊かになって革命なんか実質不必要になり、周囲の他の左翼学生も冷めて安定就職して運動を離れてゆく中、自分らは本物の革命ゲリラになることで一皮剥けたかった、ってとだったんじゃないか。で、過度な通過儀礼を自らに課し過ぎた結果が、あの総括粛清リンチ同志殺害の狂気だったんじゃないか?と。
大体この国で、大人、父権ってもんが、本当に、若者にとっての壁、敵として明確に立ち現れた時期ってのは、あったとしても実はホンの僅かじゃないのか、という気もする。
矢作俊彦『あ・じゃ・ぱん』じゃ、こんな台詞が出てきた。
「存外この国には、もとから父親なんてものがいなかったのかも知らんぞ。ロシア人を見たまえ、大方のロシア人、レーニンならざる凡百のロシア人は、この七十年以上、絶えず教会への後ろめたさを背負ってきた。その負い目をバネにして、友を密告し権力にたかって生きる自分を許したのだ。贖罪の裏返し、毒を食らわば皿までというやつだ。しかし、彼らの神の子は二千年も前に死んだ男だ。日本人の神は、君、つい最近まで生きておったんだからな。父親なんぞという代物は西洋から輸入されたのだよ」
この台詞を口にするキャラの名前は、平岡公威(でも「三島由紀夫」ではない)。
佐々敦行によると、昭和天皇はゲバ学生と機動隊の乱闘の報告を受け「双方に怪我がなくてよかった」と、どっちも自分の子供のように答えたとかで。逆にいうと、そんなふうに、結局最終的に、反抗する息子の壁になるより取り込んで包容してしまうような父権だからこそムカつく、って感情はありかも知れないが。
土着世間や父の世代との対立、ってのは日本近代文学の王道テーマのひとつだったが、高度経済成長の末期に、その完成形と解体を一人でやってのけたのが、中上健次だと思う。
中上は、まさにロッキード事件田中角栄が逮捕された年(1976年)に刊行された『岬』で、主人公秋幸の側にはいないままその人生に巨大な影を落とす父、浜村龍造を登場させ、続く『枯木灘』(1977年)では、名も無いマレビトから路地の地域経済を握る覇王にまで成り上がった龍造のゴッドファーザーぶりを浮かび上がらせたが、それこそ島田雅彦がデビューしてきた80年代初頭に書かれたその完結篇『地の果て 至上の時』では、路地を破壊し尽くした浜村龍造はただの気の抜けたオッサンになりきり、秋幸は「俺が畏怖してきた親父はこんなもんだったんかい」と拍子抜けさせられ、ぽーんと突き放されてしまう。
父との正面対決は、ついぞ実現しなかった。ってゆうか、実際、しないもんなんだろな。