電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

今度は逃げるな もう一度走れ! 『サムライダー』

ライダーといえば、連載で読んでなかった初期展開を第1巻購入して確認。少し前の『映画秘宝すぎむらしんいちインタビューで、これまでギャグでウヤムヤにしてた点を振り切り、今回はシリアスで行くと語ってた志は大いに好感。が、すぎむら漫画王道の「格好良いライバル男と格好悪い主人公」の対比の振幅が弱くなったのはいまいちの感も。
しかし、かつて青春の通過儀礼をキチンと済ませきれなかった柴崎や八巻たちが「若い頃、一度逃げた対象に再び立ち向かう」という物語構図は実に良いと思う(通過儀礼を打ち切らず青春当時のまま時が止まった住吉の狂信的な怖さは、確かにあれを人間として見本にしちゃいかんが、それから安易に目を逸らしたら負けになるような、妙な説得力がある)。
漫画の『20世紀少年』も、哀川翔の『ゼブラーマン』も、ある意味で似た図式か。昨今、20代後半〜30代を明確に客層として意識した作品にはこのパターンが多い気もする、考えることは皆同じか。そういや舞城王太郎の最初の作品『熊の場所』もそんな話といえなくなかった、熊の恐怖に打ち克つには、熊のいる恐怖の場所に戻らなければならない、と。
ゼブラーマンといや深夜再放送で観た『木更津キャッツアイ』は、確かに、これはこれとしてよくできてはいると思った(少なくとも、氣志團には好感持ったよ)が、それこそすぎむらしんいち(あるいは初期の松本太洋)テイストが不足してると思った。現実の「甲子園に行けずブラブラしてる元球児」なら、それこそえんえん部室に引きこもって煙草吸って麻雀打ってたり、やさぐれ枯れてないか? 何故なら、青春以降は余生になっちゃうんだから。俺の直に知る元体育会系はそんな雰囲気あったし。ま、役割の違いであって、クドカンも嫌いではないのだが。