電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

余談傍証

話が横道に逸れるが「みんなに迷惑をかけない」問題と関連して、ずっと以前から心の片隅に引っかかっている証言がある。
数年前、少年院の教官をしていた年長の知人に聞いた話では、近年の不良(ヤンキー系ではなくチーマー系だろう)は、傷害事件など起こしても、意外にあっさり反省するという。
ただ、そこで、なぜか被害者への謝罪の言葉は出ず、決まって「お父さんやお母さんに迷惑をかけて申し訳ない」と言うのだという。
どうよ?
罪というのは、本来、加害者と被害者の一対一の関係で決まるべきはずだ。
ところが、「被害者」に対してではなく、自分の側の「みんな」に対してどうであるか、それが罪になるかの基準というわけだ。
本末転倒と言うよりないだろう。
80年代末、とってつけたように「セクハラ」という言葉が普及した。会社で上司が女子社員の尻を触る、もう昔から、幾らでもあった話だ。だが、皆、罪だなどと思ってなかった。
だが、セクハラ訴訟が普及し、それは罪だと法的に「みんな」に認められたら、罪だということになった。
そして近年では「DV」(デジタルビデオではない、ドメスティックバイオレンス)、「パワハラ」という言葉がそれに続いている。
要するに、それが善か悪かを決めるのは「みんな」ってわけだ。