電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

それにしても「単純すぎる反動」が多すぎる

『TONE』第二号の『電波男』評にも書いたが、「オタク男は本当は優しいんだ」と言いたい気持ちはわかるが、自分から言ったらオシマイだよ。ダンディズムとストイシズムがない。椎名林檎も『歌舞伎町の女王』で歌ってる「♪同情を欲した時に全てを失うだろう」ってさ。
本田透氏には皮肉や嫌味抜きに共感する部分も多いのだが、『TONE』でも書いたけれど、どうも『電波男』を読む限り、非モテ男の怒りの矛先が、蹴落とすべきシロッコのような文系鬼畜モテ男に向かわず、キモメン男を差別する女に向かう構造が、アメリカで白人社会の中の負け組の怒りが勝ち組のWASPに向かわず、より弱い黒人や有色人種に向かうKKKの構造を見るような辛さを感じてしまう点だけは心地よくない。
要するに反動なのだ。
現在、嫌韓、嫌朝、嫌中に励む人々で、嫌ってるくせにやけに詳しいな、と思ったら、意外に、過去、在日の人権向上の団体などに参加していた、という人間が結構いたりする。
要するに、はじめ彼らに善意で同情してたら、彼らの被害者意識に基づく要求はエスカレートする一方で、彼らに同情してる自分まで一方的にたかられ、善意が裏切られたようで馬鹿らしくなった、という論理らしい。
わかる話ではある、大いに同情はする。だが、それで「こんな過去を持つボクはブサヨクじゃないよね?」と承認を求めて嫌韓、嫌朝、嫌中を主張する人間でつるむ、というのはこれも見てて心地よくない。
なるほど、フェミニズムや子供の人権論もだが、一見して耳ざわりの良い、自称弱者、自称被害者の正義、というものが、一見して耳ざわりの良いゆえツッコミの入らぬまま「善意のファシズム」として暴走することへの脅威、これも非常によくわかる。
だが、だからって単純な差別者になってみせるというのは、歪んだ被害者意識が動機、という意味では、批判対象とまったく同レベルの思考ではないか?
男は黙って言い訳せず、男に生まれただけで加害者、という事実を自覚的に受け入れる、というのがダンディズムとストイシズムだろう……と、偉そうに書いてる骸吉君はそれ実践してるの? と言われると、すみません、まだできてませんけど……ごめんなさい……