電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

植民地の愛国者

今月の『諸君!』では、「フランスでも植民地「自虐史観」論争」(松浦茂長)の記事が興味深かった。
19世紀から20世紀前半の植民地帝国主義政策は、どこの先進国もやったことだが、日本ばかりが自国のそれを全面的に悪く書かねばならなかったのは、情けない話、敗戦国だったからである。
が、旧連合国でも、過去の植民地帝国主義政策の反省を求められているというのは、少しばかり小気味良い。特にフランスでは、植民地帝国主義政策は明らかに自由平等博愛(正確には同志・同胞愛だが)の大革命の人権思想を謳った国是に反する矛盾、というのだから自己批判せざるを得なかろう。
戦後日本は、一方でかつての仇敵アメリカに迎合し、また一方で戦前自国政権の否定を謳いながら天皇制は存続、戦時中の軍需大臣が戦後総理になった岸信介をはじめ戦前の実力者が引き続き戦後も君臨するという矛盾を抱えていた。
が、矛盾の大きさはフランスも負けてはいない。ナチスドイツは人種差別の侵略的帝国主義と言いながら自国も同じことをやっとるし、戦前フランスの愛国者には左翼とユダヤ人を嫌う余りドイツの占領に自ら協力した売国奴も少なくないし、ドイツ軍が来るや逃げたドゴールは、米英の後押しを得て、自国領内に残って抵抗戦を続けた共産党レジスタンスの手柄を横取りと来ている(それが戦後大統領となって対米自立自主核武装とか言ってる)のだから矛盾まみれである。
そんなフランスの戦後教科書では、ドイツ占領下ヴィシー政権の首班となったペタン元帥なんてのは、さしずめ売国奴の代表格なのだろうが、一方で、ペタンは占領下フランス国民の生命を守るためあえて敵に屈した愛国者である、という弁護の声もある。
ふと思った、さしずめ吉田茂はある意味日本のペタンだったのかも知れん。米軍占領時代、岸信介鳩山一郎も将来の日本の再軍備独立に燃えていたが、吉田は非武装中立にこだわった。強硬な改憲派にとって、吉田は相当に敵視されたらしい(最終的には、むしろ占領軍の方が東西冷戦の激化により日本の再軍備を求め、吉田の方がそれに抵抗するという図式になったのだけれど)。
世の中敵味方が常に簡単に割り切れるとは限らない。敵に屈して生きるだの、自国を裏切るのがやむ得なかった人間は時として少なくない。フランスでもある意味一番悲惨な立場なのは、アルジェリアベトナム独立戦争時に、宗主国側に雇われ兵士となって自国同胞と戦い、その後独立を果たした自国には住めず、難民としてフランスに住むようになった者たちで、彼らは旧宗主国と祖国から二重に疎外されているという。
似たようなもので、韓国元大統領の朴正熙が、戦時中は日本軍の将校で、しかも一時は共産党シンパの赤化将校だったのは有名な話である。朝日新聞社『20世紀の千人』収録の、「趙文相」の項には、戦時中日本の軍属として働き、戦後戦犯処刑された当時の朝鮮人には、「天皇陛下万歳」と「大韓独立万歳」という、どう考えても両立しない矛盾する二つの文言を本気で唱えて死んだ者がいたと記されている。恐らく彼らには「自分らが大日本帝国のため忠誠心を尽くして働く→大日本帝国内での朝鮮の地位向上・独立につながる」と本気で思っていたのであろう。
こういう人間は案外多かった筈である。南京陥落後、恐らくは蒋介石の独裁政治への疑問と、自国民を守るため、中華民国国民党を割って親日政権を作った王兆銘なんかそうだったのではないか。この手の「親日派」は現在の韓国や中国では同情の余地なく売国者扱いでバッサリ切り捨てられている。日本人が弁護してやらずしてどうするのだ、という気がする。
ましてや、我々は今も自らすすんで旧敵国に屈する生き方を選択しているのだから。