電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

独裁にも器という必然

で、翻って日本はどうか。
日本にも、明治維新以降、その気になればソモサ一族やデュバリエ一族のような血縁による寡頭支配を実現できたかも知れない実力者は何人かいる。
が、長州のボスだった山縣有朋でも、薩摩のボスだった大久保利通でも、その他の実力者でも、一族独裁に持ち込んだ人間はいなかった。ま、それってやっぱり、日本だと天皇制とバッティングするからってことなんだろうけど。
実際、日本の近代化の過程では、絶妙なバランスで権力が個人に集中しすぎないシステムになってたと感じる。何より、個人崇拝を産むシステムがない(これも天皇制とバッティングしたからだろうが)。
ドイツではナチス時代ベルリンに「ヘルマン・ゲーリング通り」が作られ、旧ソ連は「スターリン」の名を冠した戦車を作り、戦後のイスラエルでも「ベングリオン」という名前の戦車が作られた。んが、日本にはその手のものはない(東郷神社乃木神社はあるが、ちょっと偉い人になるとすぐ神社が作られるのは、国家政策というより、まあ昔からの民俗慣習である)。
裏を返せば、日本には大物はいない。ゆえに責任の所在がわからん文化なのだが。
さらに中南米情勢がややこしいのは、こうした政治、経済の寡頭体制に加え、人種、民族、地域問題が絡むことである。
かつて15年以上前、ペルーに初めてフジモリ政権が発足した時、よくこんな政治家経験もないポッと出の、しかも同地に住みだして歴史の浅い日系人がいきなり大統領になれたな、と不思議だったが、今回、皮肉な逆説でそれが理解できた気がする。
つまり当時のペルーではフジモリは白人でも黒人でもインディオでもなく、既存の政財界実力者の既得権とも関係ない「何でもない人」だからこそ、むしろ多様でバラバラなペルー人全員の納得する器になりえた構造だった、ということではないか。
ひどく皮肉な言い方をすると、ヒトラーが政権に就いた時に似ているかも知れない。ヒトラーも出てきた時は、旧プロイセン貴族保守主義者でもなく社会主義者でもなくドイツ人でさえないから(オーストリア出身だもん)、どこの地域派閥にも与しない、多様でバラバラなドイツ人全員の納得する器になりえた。
フジモリが大胆な経済改革や政敵排除のための自主クーデターを断行できた背景も、彼が従来のペルーの既得権益と関係ないところから出てきた人物だったという点は、大きく関係していそうだ。
とはいえ、既得権益と関係ないところから出てきた人物がそれゆえ清新とは限らないのがまた難しい。むしろ、既得権益に縛られぬがゆえ、前政権への粛清人事を容赦なく断行し過ぎて、結局、恐怖政治に行き着くケースだってある。ハイチのアリスティド政権はこのパターンで、発足した時こそ期待されたのにあっさり失脚した。
――こうして見てくると、結局、誰もが納得し、かつ善政を維持できる指導者などそうそう成立し得ないが、それも仕方ないという話になる。
つくづくもって日本はたまたま、独占的血族支配者も現れず、国内に深刻な人種民族地域対立もなく済んできたが、これは本当に運が良かったとしか言いようあるまい。それも、こうしてたまに地球の反対側にでも眼を向けねば気づけない話である。