電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

衣食足りて(栄光や血統の)シンボルを求める

大ナポレオンことボナパルトは、フランス大革命後、陸軍の砲兵士官として旧王党派の反動クーデター鎮圧で頭角をあらわし、革命打倒をもくろむ他のヨーロッパ君主諸国を破り、返す刀で一時はヨーロッパの大部分を征服した。
そのナポレオンが皇帝に戴冠したのは革命の裏切り行為とも見なされたが、一方で彼は「革命政権を守るための国民軍」の優秀な軍人には多くの栄誉を与えた。ナポレオンが熱狂的に支持された理由のひとつはここにある。
彼はまさしく前記引用の「崇敬できる権威から自らの使命を与えられ、世の中の序列のどこかに正しく位置づけられたい欲求」をよくかなえてくれるカリスマだったわけだ。
んが、その甥ナポレオン三世には、とくに軍人としての業績など何もない。当時のフランスの大衆が彼を支持して大統領に就かせ、次いで民主的手続きで皇帝に即位(!)させたのは、大ナポレオンの血統という栄光の「イメージ」に拠ったに過ぎない。
しかし実際、ナポレオン三世は、当時のフランスの、右翼、左翼、元貴族、軍人、ブルジョワ商人、農民や労働者の貧乏人、いずれにとっても「なんでもない人」ゆえに「みこし」として担ぐにはそこそこ都合よい人間だったらしい。
帝政復活は貴族主義者をも肯定するし、大ナポレオンの係累ということで前述の名誉恩賞を欲しがる軍人は支持する。また、ナポレオン三世は一応『貧困の絶滅』とかいう著書を出して社会主義政策も謳い、貧民の機嫌も取ってたそうである。
そもそも、ナポレオン三世が権力を握った1848年頃とは、大革命が最初に起きた1789年からすでに50年以上が経ち、マリーアントワネットがお菓子食ってても水呑百姓は泥水すすってたというほどの極端な階級格差はさすがにだいぶ是正され、そろそろ革命下の大衆も「衣食足りて(栄光の血統とかいった)シンボルを求める」となってた時期らしい。
笠井潔の小説『群集の悪魔』は、1848年革命前夜のパリを舞台に、ナポレオン三世の暗躍を描いたミステリだった。この作中では、革命の進行による貴族−地主−農民の伝統的結びつきの風化、進展する産業社会化によって、土着の共同体から切り離された庶民大衆が「群集」と化し、そんな「群集」の漠然とした気分に、ナポレオン三世は「なんでもない人」ゆえに「みこし」として乗った、と分析し、そんなナポレオン三世を、次世紀の大衆独裁者ムッソリーニヒトラーの先駆と暗示している。
この小説、面白くないわけではないが、わたし個人としては片手落ち感が強い。
ナポレオン三世がこずるいだけの「なんでもない人」なのはわかった。でも、それを支持した大多数の大衆については一切批判もしてないし、だからといって騙された可哀想な被害者とも描いてないし、大衆の「崇敬できる権威から自らの使命を与えられ、世の中の序列のどこかに正しく位置づけられたい欲求」にも踏み込んでもいない。
安っぽい扇動家をアッサリ支持する愚民大衆を批判にしても良いのに、全共闘世代たる笠井先生は、根底の部分で大衆性善説を信じたがってる人ゆえなのかもしれない。