電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

一度目は悲劇、二度目は茶番

実際、ナポレオン三世が皇帝を勤めていた第二帝政期(1851〜1871年)というのは、フランスの庶民もそこそこ裕福になり、「パンとサーカス」の時代だったようだ。
今、フランス第二帝政期に眼を向ける、って案外とタイムリーな視点かもって思うぜ。このへん、俺はちっとも専門家ではないで思いつきを垂れ流し気味に書いてるだけだから、もっと専門の学者が論じてくれたら面白い気がする。
この第二帝政期、大衆消費文化が大いに発達したことは、ベンヤミンが『ボードレールにおける第二帝政期のパリ』に書いてた。これ、学生時代に読んだが難解だったのでかなり忘れた。えらく乱暴に要点だけ言えば、当時パリでは従来の土着的な「お得意様」によって成立する町の商店に代わり、ショーウィンドゥで不特定多数の大衆化した客の目を惹くショッピングモールが発達した時期ということだそうで、商店街が壊滅し商品陳列数の多さで客を引くショッピングセンターが栄える現代の「ファスト風土」((C)三浦展)環境の先駆けじゃん!
フローベールの代表作『ボヴァリー夫人』が書かれたのもこの時期(1857年)だった。フローベールの『ボヴァリー夫人』といえば、お蓮實重彦先生が詳しくお解説してくださっているおフランス文学のお代表作なわけだが、わたしに言わせると、ボヴァリー夫人はオタクである。これは茶化しているのではない!
ボヴァリー夫人というのは田舎医者の嫁さんなのだが、たまたま田舎貴族の社交サロンにちょっとだけ参加してその世界に魅了され、貴族階級の恋愛物語(ハーレクィンロマンスのようなものだ)を読み耽り、恋に恋するように不倫を繰り返す(出会い系にハマるヒマな団地妻主婦のようなものだ)。
この小説が時に「近代文学の祖」などと呼ばれるのは、従来の文学では、シェイクスピア作品などのように悲恋の主人公は王侯貴族階級だったが、主人公がまったくの庶民階級で、それが身分不相応に従来の王侯貴族階級のマネをやらかす点にある。
そんなボヴァリー夫人の物語はよく、騎士道物語を読みすぎた末、それを実践し始めたドン・キホーテの物語になぞられられる。
だがそれって、現代に当てはめたら、エロゲーのやりすぎで本当に少女誘拐監禁に走った『首輪王子』こと小林泰剛とか、『下妻物語』に出てくる自分をマリーアントワネットに見立てた田舎ヤンキー娘のようなものではないか?
これは別にギャグではない。かつてマルクスは言ったらしい、ええと「歴史上の偉大な人物は二度現れる、一度目は悲劇として、二度目は茶番として」とかなんとか。これ何のこと言ってるのかというとずばり、初代ナポレオンとナポレオン三世のことなんだとさ。そりゃ本物のマリーアントワネットやサド侯爵は悲劇でも、下妻物語や小林泰剛は、「分不相応を自覚しろ」というパロディ的茶番にしかならんわな。
――さて、ナポレオン三世の最期はいかなるものであったか? これはマジで現代日本に対し、皮肉な教訓になると思う。
1870年、普仏戦争が勃発すると、ナポレオン三世は、痔でケツが痛いのをおして軍馬に跨り戦場に赴いたが、アッサリ敗北する。新興プロシアはよりによって占領したパリでドイツ帝国建国を宣言し、ヤケクソになったパリ市民はコンミューンを作って無政府状態に突入、以後、フランスに王制、帝政は復活しないまま現在に至る。
ナポレオン三世自身には実戦の経歴なんてまったくないのに、フランス国民はヨーロッパ最高の軍人ナポレオンの古い威光の「神話」を彼に重ねていた。それを打ち破ったプロイセン軍は、こちらも実戦経験こそ少ないものの、鉄道による迅速な兵員移動、電信による命令伝達、従来の小銃が一分間に二発しか撃てないのに、一分間に七発撃てる新式のドライゼ小銃という、「技術」を持っていた。
「神話」は「技術」に殺されたのである。
大東亜戦争敗戦の一端は、日露戦争の奇跡的大勝利の神話化、八紘一宇の皇国神話(それも元々は、過酷な帝国主義競争時代、国民が一丸となり近代化に向かうために必要なものだった面は否定できない。が、いつしか形骸化した面も否定できない)を信じすぎた点にあった。戦後日本は、そんな戦前戦中の「神話」に頼りすぎた失敗を「技術」で大いに挽回した。だが、今やその戦後の復興、高度経済成長が「神話」になりつつあるのは皮肉というべきか……。