電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

棄郷

と、くだらない妄想を浮かべるのは気が楽だが、ファンタジーではない現実の日本の田舎の風景を見ていると、いろいろ複雑な気分になる。
先日、日帰りで信州旅行に出かけた。
わたしは中高生時代九州にいたが、7歳まで信州の諏訪に住んでいて、祖母の家が諏訪市に隣接する上伊那郡の辰野という土地にあった。
上諏訪までなら10年ぐらい前に一度足を伸ばしたことがあるが、辰野までは、1990年頃に一度訪れたきりである。今回は、約20年ぶりにその辰野も訪問した。
諏訪市は一応は観光地だし(温泉もある)、諏訪湖畔の岡谷ではいまだに精密機械工場が操業しているので、過疎化したとはいえ、町が生きている感じがある。
だが、上伊那郡のほうは、約20年ぶりとなれば風景が変わるのも仕方ないとは思っていたが、風景が変わったどころでない、道路しかないのである。
平日だったというのに駅前商店街は看板掲げたままもぬけの空で、だというのになぜか信用金庫だけは営業中、自動車は走っているが、歩いている人間がまるで見当たらない。人家はあるが、人の気配はない。
なんでこのような土地になったかといえば、わたしのように、地元を離れて都市部に出て行ったきり帰らない人間が多いからであろう(ただし、自分に関してひとつ言い訳させてもらうと、わたしは生地の信州にも、十代までいた九州にも、代々の持ち家はないのだ)。
『日本人の平均値』(生活情報センター)という統計資料によると、県民の高齢者比率が高い県と、他の都道府県からの流入率が低い県は、ほぼ一致していた。
長野県は高齢者比率42%で全国10位。より上位には東北地方や山陰地方の県が並ぶ。逆に、東京都と神奈川県は高齢者比率25%前後で、最下位クラスだ。
ひぐらしのなく頃に』は1970年代末〜80年代初頭が舞台だったが、もし現代に本当にリアルにこういう話を作るなら、登場人物は高齢者ばかりになってしまうだろう。
かつて1970年代末〜80年代初頭に、角川映画の仕掛けで、横溝正史ミステリーが流行した当時は、旧国鉄もディスカバー・ジャパンなんてキャンペーンをやってて、「日本の(田舎の)再発見」というのがひとつの社会現象のようなものになっていた。
んが、今後、再発見すべき日本が、ゲームやアニメなどの本来ファンタジーを描く創作物の中以外に本当に残りえるのか、少々怖い気がする。
唱えられた時から空疎なイメージの強かった「美しい国」というキャッチフレーズは、安倍退陣ともに急速に忘れさられつつがあるが、それも必然ということだったのだろうか。