電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

創造性とは何ぞや?

たとえば、エジソンは電球というものを発明した。が、その材料に使ったガラスや銅線などは、以前から存在していたものである。エジソンはフィラメントに竹繊維の炭素棒を使ったそうだが、竹自体は自然界に存在したもので、エジソンが造ったものではない。
つまり、無から有を作り出したのではない。エジソンは電気の光を効率よくガラス球に閉じ込める「方法」を、試行錯誤の果てに発明したのだ。
すべてはこういうことだろう。つまり人の世の「創造」とされるものは、「組み合わせ」「方法」の発見試行錯誤ってことだ。(創造性ある人間に育てたいなら、小っちゃい子に与えるのに一番良い玩具は間違いなくレゴブロックだ!)
そして、あらゆる「作る行為」は、結果もさることながら、その「過程」にこそ、固有の価値があるのではないか。
昨今マンガやアニメやゲームの論評で「○○は××のパクリ」論議を好む人間は多いが、んなこといったら、ではドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』は、シェイクスピアハムレット』のパクリ、さらに『ハムレット』はソフォクレスの『オイディプス王』の話のパクリか?
共通してるのは「親殺し」というモチーフのみ、中身はそれぞれ、シェイクスピアの、ドストエフスキーのオリジナルだ。仮に着想がパクリでも、あれだけ長大な作品を書いた労力は、素人が簡単に「パクリ」の一言でバカにできるものではなかろう。