電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

人も獣も天地の虫(by山田風太郎)

『100字でわかる哲学』の仕事の時に調べたことだが、宗教改革のルターやカルヴァンに言わせると、(全知全能のはずの神の前ではちっぽけな卑小な存在の)人間ごときが俗世の善行で救われるなど思うのはオコガマシイ、ということになるらしい。
では、救われるも救われないも神次第なんだから俗世では好きに生きてよい、とはならず、俗世では各人せいぜい自分の仕事に邁進しろ、ということでプロテスタンティズムが近代資本主義を生んだとされる。これもまた結果より過程を重んじた発想といえなくない。
もっともわたしは、人間サマのみを特別な神の被造物と見なすキリスト教の人間観は、なんかエラそうなので、すべての生命には悟りの可能性がある、つーか、人間も草木も虫も平等っすよ、というのが悟りの境地とした(オレ的大ざっぱ解釈の)仏教的生命観のほうが、なんとなく受け入れやすい気がしている。
ホントーにこの世に全知全能の神があってもなくても、人知外のことは幾らでもある。人間は、昆虫にだって見える紫外線や赤外線も感知できない。なんでもカントに言わせると、人間はあらかじめ決まった枠の中でしかものを考えられないそうである。しょせんは限られている、だから虚しい、というわけでなく、有限の中にこそ「組み合わせ」の可能性が幾らでもあるし、せいぜいそれを一生懸命に探すのが人間の知というわけなのだろう。