電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

弱者への嫉妬について

「英雄ってのはさぁ…英雄になろうとした瞬間に失格なのよ。お前、いきなりアウトってわけ。」
北岡秀一 『仮面ライダー龍騎
https://www.youtube.com/watch?v=vqV1ZBM-d6E

前々から思っていたことであるが、わたしは「キモくて金のないおっさん=かわいそう論」というヤツがどうも嫌いである。
47歳独身彼女なし数年前まで年収100万円台で、平日昼間に自転車で小学校の横を通っただけで警官に呼び止められこともある当方は、まさに「キモくて金のないおっさん」を絵に描いて額縁に入れて美術館に飾ったような存在なのだが、同輩がみずからかわいそうな弱者という顔をするのを見かけるとイヤな気分になる。
じゃあ、「キモくて金のないおばちゃん」や、「キモくて金のない男子小学生」や、「キモくて金のない若い女性」や、「金はあるがキモくて人望のないおっさん」や、「イケメンだが金がなくて結婚を諦めた若い男」はかわいそうじゃねえのかよ?
近年になって、「キモくて金のないおっさん=かわいそう論」が出てきた背景にあるのは、従来の左翼リベラル派の価値基準では「女性や子供や身体障害者や日本人以外のアジア人は『弱者』として扱ってもらえるのに、日本人成人男性はどんなにみじめな立場でも『弱者』として扱ってもらえない」という"弱者への嫉妬"意識だろう。
それは理屈としてわかる。それで「俺も『弱者』様になりたい」「俺も『弱者』として認めろ」ということであろう。だが、当方としては、先に引いた仮面ライダーゾルダ北岡弁護士の台詞に倣って、「弱者ってのはさぁ…弱者になろうとした瞬間に失格なのよ」と考えている。
ああ、そういや昔、椎名林檎「♪同情を欲したときに すべてを失うだろう」(『歌舞伎町の女王』)って歌ってたな。
キモくて金のないおっさん問題といえば、かつて話題になったこんなツイートがあった。

シエ? @s_sh
20代の知人女性が「運転中にパンクして困っていたところ、通りがかった男性に助けてもらった。歳はたぶん40代で、小太りで少しハゲていて、見るからに独身という感じだった。すごく気持ち悪かった」と話していて、人生の悲しみのすべてがここに詰まっているなと思った。
23:34 - 2013年5月29日
https://twitter.com/s_sh/status/339993187294801920

わたしが同じ立場にあれば高確率で、いや、ほぼ確実にこのおっさんと同じく「すごく気持ち悪かった」と評されると思う。が、だからといって怒る気はしない。先の北岡弁護士の考え方に沿えば、若い女性に感謝されることを期待する時点で不純だからだ。
それでも、もし自分が上記の場面に出くわしてパンクの修理を手伝える状況にあれば、手伝ってやるかなあと思う。自分の持っている「パンクを修理する技術」がもったいないからだ。
それで相手が感謝の念を示すより「気持ち悪かった」と思っても、こちらから修理を申し出た以上は文句を言える立場ではなかろう。人の感情には優先順位というものがある、先方が善意100%で高級ワインを勧めても、こっちは一滴も酒が飲めないからただの大迷惑という場合だってあるのだ。相手は「パンクが直ること」より「気持ち悪い中年男とは一切関わり合いたくない」の方がよほど大事な人だったのなら、その時はその時だ。
人に善意を示すときは見返りを期待するなという話である。

近代以前の男尊女卑は幸福だったか?

言うまでなく、「キモくて金のないおっさん」は、別に21世紀になって突如出現したわけではなく、いつの時代どこの国にも存在していたはずである。
それでも、男尊女卑的な社会秩序が機能していた時代には、大人の男(おっさん)はただ「大人の男」というだけで、ある程度は女子供にデカい顔ができた。それはなぜか? ただ単に世の中全体、圧倒的に筋肉労働中心だったからではないのか。
要するに、今のスマホとコンビニと電車とエアコンその他のある便利な文明社会と、無条件の男尊女卑環境はトレードオフなのだ。大人の男が大人の男というだけで尊敬されたいなら、筋力で獣を狩ったり筋力で畑を耕す前近代社会に戻るしかあるまい。
世の非モテ論者の中には時おり、自分が結婚できないのは戦後の男女平等のせいだ、戦前のような男尊女卑社会なら自分でも結婚できてたと述べる者がいる。
だが、その戦前、日本人の圧倒的大多数は農民だった。当時の世の男性に要求されていたのは、田畑を耕したり、炭鉱で石炭を掘ったり、軍隊で重たい装備品を担いで何千キロも行軍する能力であり、それらに耐え得ない者では到底モテ得なかった。
また一方、戦前ないし前近代社会であれば、無条件に男尊女卑であるからどんな男も結婚できていたかといえば、常にあぶれる男だっていた。
輿那覇潤の『中国化する日本』(isbn:4163746900)によれば、江戸時代当時、農村では農地を継ぐ長男以外の次男三男坊以下は、農村から都市に捨てられる存在だった。江戸の人口は男2人に対して女1人だったという。
江戸や大坂のような大都市では、近隣の農家の次男三男坊以下が流入して長屋に住みつき、日本橋で人足でもしながら吉原通いでもして、結婚もせず30代40代でのたれ死に――なんて与太郎がゴロゴロいたはずである。自分もまたそんな大量にいた与太郎の後継者の一人と思えば、特段に自分だけが不幸とはまったく思わない。

「劣者のノーブレスオブリジュ」というプライド

ただし、いい歳をして妻子もない独身男であることを「申し訳ない」という意識はある。
何しろ自分も成人するまでは親に育ててもらった、その養育費を一切払わない代わりに、自分も成長後は親となって子供を育てる……という形で人類はずっと続いてきた。未婚で子なしのまま死ねば、親世代に対して借りだけが残る。これは申し訳ない。
だから、結婚して子供のいる人々は皆、自分の代わりに義務を果たしてくれていると考えている。それゆえ、自分の収めた税金やら保険料やら年金やらが少子化対策や保育園助成に使われるなら、まあ納得せざるを得ないだろう、と。
男の「キモくて金のないおっさん」問題と表裏をなすように、女性の側には「未婚女性は産休を得られる女性のために損をしている」という意識があるらしい。

いきいきママ」で業務が崩壊した話
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171023112949

産休を支えている未婚の女性労働者も、可能性のうえでは、自分が出産したときには産休制度の享受者になり得るのだから「お互い様」ではないか。わたしが女性だったら、自分は子育ての責務を免除されてる代わりに産休代理の労働をしていると考えるけどな。徴兵義務免除と引き換えの労働奉仕みたいに。
本来ならば、自分には子供がいないなら、代わりに自分が成人するまでの養育費を親に返さないと格好がつかないという意識が頭の片隅にあるので(一向に実践はしないが)、子供がいる人間のための労働奉仕を要求されるのなら、まあ納得はできる。
先に引いた「パンクを助けて気持ち悪かったと評された中年」の話も、この産休制度を支える裏方も、あえて損な役を引き受けることを、一種のノーブレスオブリジュと考えることはできないだろうか? 愚痴れば醜く思われるが、「自分は人のため嫌な仕事をあえてやっている」という考え方をすれば、最低限、内面の優越感は維持できる。
先に触れたような前近代〜戦前の男尊女卑を支えていたのは、「いざとなれば、成人男性は女子供を守れる」というありがたみと、そのような意気込みである。
どうも現在の保守・右派は女性や身体障害者などの社会的弱者に手きびしい場合が多いが、かつては保守的な道徳観のなかにも、騎士道精神や義侠心といった、弱者のために戦うヒロイズムがあった。「キモくて金のないおっさん」を論議にしたがる人々には、そういう男としての美意識やストイシズムが感じられないから、当方としては同情心が湧かないのだ。
こういうことを述べると「男の騎士道精神や義侠心なんて自己満足なパターナリズムじゃないか」というツッコミが入ること必至だろう。だが、当方としては自己満足なパターナリズムで上等、せめてそれぐらい示せなければ成人男性が成人男性というだけで尊敬してもらえる最低条件もクリアできないではないか、と思うのだが。

周回遅れの最先端

私はとんねるずが好きなんだけど嫌いな人や批判してる人が何をいけないと言ってるのかすごくよくわかる - id:lisagasu - lisagasu - はてなハイク
http://b.hatena.ne.jp/entry/h.hatena.ne.jp/lisagasu/316623163035337899

とんねるず自体に対しては、「いまだにバブル時代のギャグがウケると思ってんのかよw」という感想しかない。
わたしは、まさに上記の方がお書きになっている理由でとんねるずが嫌いだった。本物の勝ち組リア充は、とんねるずみたいに必死に「見ろ! 俺たちこそ明るく、イケてる」というノリの強要なんかしないし、異端・ネクラ叩きで笑いを取ることもしない、勝ち組リア充だけの世界で閉じて自足してるからだ。かつて和光大卒の小山田圭吾は楽しげにいじめ自慢を語ったが、東大卒の小沢健二はそんなことはしなかった。
それはさておき、今回の件で噴出した「昔は良かった。今みたいにLGBTだの何だの配慮していては、あらゆるお笑いが成立しなくなるぞ」と、これまた狼が来た少年のように語るご意見には「そうかあ?」と感じる。
古典落語には、盲人を扱った『心眼』など、障害のある人間をネタにした噺がたまにある。『藪入り』など男色や衆道の要素が出てくる噺もあるが、男色や衆道自体を笑い物にした噺なんてあったっけ? 当方は寡聞にして知らない。
東海道中膝栗毛』の主人公の弥次さんと喜多さんは、男色関係だとWikipediaにもハッキリ書いてある。『好色一代男』の主人公は男女両刀使いであった。近代以前の大衆文化ではゲイは何ら珍しいものではなかったのだ。日本においては「ホモは嘲笑すべき対象である」という発想こそ、むしろ近代以降の新しい思考ではないのか?
ゲイを笑い物にするのは欧米に遅れているから恥ずかしいのではない、昔は存在しなかった一時の流行り物にしがみついているのが恥ずかしいのではないか。

米朝開戦を「正しく怖がる」試論

「今回は大量の難民、覚悟しなきゃ」麻生副総理
2017年10月14日16時33分
http://www.asahi.com/articles/ASKBG4JXFKBGOHGB009.html

もし米朝開戦となれば、日本に北朝鮮ないし韓国から難民が流入する可能性は充分にある。だが、1950年の朝鮮戦争当時とまったく同じような事態になるかはわからない。
北朝鮮からの難民発生の場合の流入

  • 韓国(陸路/地雷原・武装地帯あり)
  • 中国(陸路/部分的に渡河が必要)
  • ロシア(陸路/部分的に渡河が必要)
  • 日本(海路/最短で400km以上)

韓国の釜山〜対馬ならゴムボートでも渡航可能だろうが、北朝鮮から日本海を越えるにはそれなりの大型船がなければ無理だ。北朝鮮から難民の大多数は、まず中国かロシアか韓国に向かうのではないか?
http://www.jmc.or.jp/images/gsimap.jpg
EU圏への中東難民の流入も基本的には、シリア→トルコ→ギリシャ、と陸路である。
武装した難民を意図的に送りつける偽装難民工作員によるテロも、可能性としては充分にありえる。だが、北朝鮮にそれを大々的に行う力があるかは疑問がある。
北朝鮮と自国の二国だけしか視野に入れてないと見落としがちだが、実際には北朝鮮は日本だけを相手にしているわけではない。
米朝開戦した場合の北朝鮮にとっての警戒優先度

  • 南北国境の防備(在韓米軍の陸路北上)
  • 首都平壌の防空(爆撃、ミサイル攻撃対策)
  • 沿岸の防備(韓国・米国海軍の艦砲射撃、潜水艦ミサイル攻撃対策)
  • 中朝国境の防備(中国が米国と手を結ぶ可能性への対策)

日本は島国だから陸続きで敵の陸軍が殺到するという想像力がないが北朝鮮にとって最大の脅威は在韓米陸軍の北上である。
防衛白書』によると、北朝鮮の兵力は約100万人で、韓国軍、在韓米軍、自衛隊在日米軍を全部足した数より多い。
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2017/html/n1120000.html#zuhyo01010201
ただし、北朝鮮の総人口は約2516万人ほどで、韓国の半分しかない。銃後の生産力などを含めた国力全体を考えると、防戦で手いっぱいだろう。
日本への破壊工作はあり得るが、南北国境の防備、首都平壌の防空に比べれば、優先順位はかなーり低いはずである。しかも、状況によっては中国が裏切る可能性まである。小規模の工作員在日米軍自衛隊を攪乱できるかといえば、効果も低そうだ。
では、いきなり日本の大都市に核ミサイルを撃ちこむかといえば、そんなことをすれば、大事な金ヅルの朝鮮総連関係者まで大量死する。金日成時代ならともかく、豊かな日本の生活に何十年も首まで浸かった今の総連関係者が、核ミサイルを撃たれても喜んで金正恩のために死ぬかといえば、いまいちビミョーな気がする。
もし日本国内の総連関係者が本気で逃げ出す兆候を見せれば本当に危ないが、それはとっくの昔に日本の公安も考えてるはずで、総連を見張ってるだろう。
では次に、北朝鮮ではなく韓国から避難民が殺到する可能性はどうか。
●韓国からの難民発生の場合の流入

  • 日本の福岡(最短コース)
  • 米国(有産階層は一足飛びに米国亡命しそう)
  • オーストラリア(現時点では北朝鮮ミサイルの目標外)
  • 台湾(米中正面衝突にならない限り日本よりは安全)
  • 中国内(中朝衝突はないと判断できる場合)

先に触れた麻生太郎副首相の言葉は、朝鮮戦争が起きた1950年当時、韓国にもっとも近い福岡にいた体験の重みがある。韓国からの脱出者は一定数、釜山から福岡に殺到するだろうし、そうなれば一時的にであれ、難民キャンプが必要になるだろう。
ただし、1950年当時とは異なり、現在の韓国民のGDPなら逃亡先は複数選択肢から選べる。一定以上の富裕層は、日本ではなく一足飛びにアメリカかオーストラリア、あるいは確実に北朝鮮のミサイルの射程外の南米だか欧州だかに逃亡するのではないか。
日本に逃げても、核ミサイルの射程範囲という意味ではぜんぜん安全ではない。となれば、ひとまず日本に流入した難民も、可能な限りもっと遠くの国へ逃げたいだろう。一回転した発想で、中国こそ安全と考える人間も少なくないかも知れない。

バブル崩壊で日本は滅亡しましたか?

石平「中国『崩壊』とは言ってない。予言したこともない」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8667.php

近年、2015年6月に起きた上海株式市場の暴落やら、中国各地で「鬼城」と呼ばれる不動産投機のためだけに建てられた買い手のない無人マンションが増えている点などをもってして、「中国経済崩壊はもう始まっている」と語る人は少なくない。
では、このような兆候はあるだろうか?

  • 世界の売り上げトップ10企業から中国企業が全部脱落
  • 上海株が暴落した状態のまままったく株価が上がらなくなる
  • 北京や上海で上場企業が次々と大量倒産
  • 北京や上海の路上が失業者であふれる
  • 北京や上海の経営者に自殺が大量発生
  • 北京や上海の小売市場で高い商品がさっぱり売れなくなる
  • 欧米の企業が中国企業への出資を一斉に引き上げる
  • 海外での一帯一路のための工事がことごとくストップ
  • 爆買い中国人が日本からさっぱり消える
  • 中国共産党国営企業幹部が次々と欧米に亡命

当方としては、最低でも以上の3つは当てはまる状態でなければ「中国経済『崩壊』」とは言わんだろ、と思う。でなければ、せいぜい「中国経済『停滞』」だろう。
確かに、長期的視野では今後、中国経済も停滞してゆくとは思う。何しろ先進国と同じ少子化という病気が出はじめている。一人っ子政策を緩和しても、生活コストの上昇した都市部では期待ほどに出生率が伸びてないから、労働人口は減少していくだろう。
しかしながら、かつての日本もバブル崩壊と言われて以降、つい数年前まで経済は停滞しつつもGDPは世界2位の座にあり続けた。
共産党打倒の暴動が起きるのかと言えば、中共は20年前から社会主義国で初めて出国を自由化し、もうずっと「自国が嫌なら出ていけ」という方針だ。
……結局のところ、20年後の中国は共産党政権のまま、まさに今の日本のようにダラダラと、そこそこ豊かだがいささか気力の落ちた国になってるだけではないだろうか。

続・歴史の捏造について

この手の、政治や軍事の大局の話ばかりで現実をわかった気になって、庶民の生活実感の歴史とかを知らん(学ぼうとしない)人間がドヤ顔すると、ろくなことにならない。
しばし前、ひどい歴史の捏造を目にした。

昔は20代のOLでも純朴な女性が大半だったが、性的に穢れるようになってから純朴さが失われた。
そこで80年代には女子大生ブームが起こったが、すぐに女子大生も穢れた存在と見られるようになった。
そこでさらに90年代には女子高生ブームが起きたが、これもすぐに穢れたイメージに。
結局、00年代に入って女子中学生以下のロリブームが起こり、今に至る。

元を辿れば、成年女性が軽々しく股を開くようになったから、仕方なく男性は低い年齢へどんどん趣向が変わっていったわけで、ロリ問題を男のせいだけにはできんと思うんだわ。
https://layer13.tumblr.com/post/162079518209/

何この大ウソ。1980年代当時にはすでにロリコンブームってあったのを知らんのか(当時はミドルティーン〜ローティーン女子の裸も平然と雑誌に載っていた)。
さらに以前、1950年代の「太陽族」を描いた映画には、現代のヤリサーと同じく都内の一流私立大学生が10代女性をナンパしまくる場面が出てくるし、高校生の〈桃色遊戯〉を描いた〈性典映画〉なんてのもあった。これらはすべて石原慎太郎の脳内で創作されたワケではなく、当時の現実の流行風俗を取り入れた作品だ。
時代が進むほど女が純朴でなくなったとかドヤ顔で書いてあるが、むしろ戦前とか明治時代とか前近代とか時代をさかのぼるほど、貧困のため幼い女の子が今の小学生くらいの年齢で女郎屋に売られたとかいう話がゴロゴロある。田舎の村じゃ夜這いが通例、お祭りの夜には10代でも乱交とか通例だった。赤松啓介の著作でも5、6冊読んで出直してこい!!
歴史に無知なうえに男のロリコン性癖を相手のせいにするとか発想自体サイテーじゃねえか。
――実際、こうした政治や戦争の大局ではなく、民俗学的な庶民大衆の生活実態の歴史というものは記録に残されにくい。しかし、こうやって衣食住だの色恋だの性風俗だののデテールを無視してドヤ顔で世の中を語っていると、いずれとんでもない錯誤に陥るし、それこそ伝統への冒涜を招きかねない。
もしこの調子で、終戦時に5〜10歳ぐらいだった世代さえも死に絶えた後、「戦時中も終戦直後も日本人の子供は皆たらふく食べていた」、「疎開先でイジメなど一切なかった」、「中学生も勤労動員で働かされたとかウソ」となったら、そのへんの時代の苦労を題材にした藤子不二雄Aの『少年時代』などの傑作も意味がわからなくなるし、敗戦直後に「私のパンだけ白いのは困る。国民の配給のと同じにしてくれ」と語った昭和天皇のお心もぶち壊しではないか。

平和ボケと戦争オタク

この時期の風物詩というやつで、区役所に入ると、原爆投下直後の広島長崎の写真パネルを何種類も展示してる。
「これ、日本国内じゃなくて今の北朝鮮とかアメリカとかで展示しなけりゃ意味ねえだろ」と思うのだが、連中は逆に「そうか核兵器というのはこんなに恐ろしいのか → だったらこっちもバンバン軍備を強化せねば!」と考える。つーか、悲しいかな、世界じゃそっちが通常の思考。
昨今、「戦争の悲惨話」はウケが悪い。実際、その手の話を広めれば現実の戦争が抑止できるほど世の中甘いとは思わない。ただし、わたしは「世界から戦争をなくすとかお花畑w」と最初から冷笑的ニヒリズムを気取って思考停止するのも、単なる怠惰か大人の中二病にしか思えない。
なるほど戦争になるときは戦争になる、だから何もするなというのなら、雨が降れば濡れるのが自然なのだから傘を差すなというのか? それは文明人とは言わない。
世の平和運動家は、単純に戦争に反対するより、戦争が起きたなら起きたで犠牲を最小限にする方法、遺恨なく和平に持ち込む交渉条件を考えるべきだろう。

結局、戦争より損得勘定

いかに日本の左翼リベラル派が国内で平和運動を行なおうとも、北朝鮮はお構いなしに核ミサイルを撃つときには撃つだろう。しかしながら、本当に撃ってその後どうするかのまでのヴィジョンがあるとは思えない。アメリカは北朝鮮の全土を1日で焦土にできるが、その逆は無理だ、せいぜい西海岸の都市を5、6個潰す程度ではないか。
今や北朝鮮の後ろ盾の中国も、最大の商売相手のアメリカとの直接的な正面戦争は望まんだろう。今や中国の輸出相手国トップはアメリカで、2015年のデータによれば、その金額たるや4,095億3,800万ドル。結局、平和主義イデオロギーではなくゼニカネの論理が戦争を抑止しているというヘタレな状況、これもまた現実。
今になってこれを述べるのは後出しジャンケンも甚だしいが、7月中、稲田朋美防衛大臣をギリギリまで庇っていた安倍晋三首相は「北朝鮮のミサイル危機が迫っている状況下、国防のトップを安易に変えるわけには行かない」という擁護ができたはずだ。しかし、この手の擁護論は、自民党上層部からも防衛省からもいっさい出なかった! しかも、稲田女史が自分から辞任を申し出たら、なんと後任も決めないまま受理してしまった。
この一点をもって、少なくとも現時点では、自民党政権の中枢は「今の北朝鮮のミサイル問題は本物の危機ではない」と認識していることが読みとれる。在日米軍あるいは韓国軍から「今の北の態度はハッタリ、本当に本気ならこんな動きをする」といった情報を得ているのではないか? だから、少なくとも現時点で、すぐにでも米朝開戦だ! と大騒ぎするのも阿呆らしいとしか思えない。

戦前を美化しながら自分は戦前らしくない人

今さらついでに稲田女史の話も少々。朋美たんといえば、親の代からの生長の家の信徒で日本会議シンパでタカ派として知られてきた、方々での当人の発言を読む限り、「戦前の日本の価値観はいっさいすべて正しかった」という考え方のお人らしい。
それが、リゾート地にでも行くような服装やハイヒールやらで自衛隊の視察に来たことを叩かれて「好きな服も着られない」と嘆いたらしいが、もし戦前の帝国陸海軍の軍人の前で同じ事やってたら間違いなく袋叩きだぞ、左翼リベラル派ではなく保守愛国派から。
どうもこの人、タカ派を標榜しながらも、リスペクトしているのは「自分のなかにあるイメージとしての戦前」で、現実の軍人にはとんと敬意を持ってなかったのではないか?
もし、わたしがヒラの自衛隊員だったら、選挙では命令されなくても普通に自民党に入れるだろうとは思う。しかし、朋美たんのような女史が「防衛省自衛隊としてお願い」などと、あたかも「自分個人の見解=全自衛隊員の総意」みたいな態度を取れば、普通にムカついてるだろう。
こういう人が国防のトップになってしまったことこそ「平和ボケ」ではないのか。

「戦闘しか知らない」は「戦争を知ってる」と言えるか

先に触れたように、当方も世の平和運動には懐疑的だが、とりあえず戦争を経験した世代のお年寄りには敬意を払わないとダメだろと思っている。

桂歌丸が戦争を知らない政治家に苦言 Twitterで紹介され反響 - ライブドアニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/13441014/

昨今ではこのような、高齢者の「戦争の悲惨話」に対し、「終戦時に5〜10歳ぐらいだった世代は戦争を知らない、(戦後生まれの)俺の方こそが戦争をよく知ってる」とドヤ顔で語る人間がわいて出るのだが、そういう連中は大抵、戦争を知ってるようなツラをしながら「戦闘(あるいは戦略)しか知らない」。
女子供が体験した銃後の日常など戦争の一部に過ぎないというのなら、逆に、いかに大局的視野での大東亜戦争の意義が崇高であろうと、日本軍の兵器が当時としては優秀であろうと、一部の戦闘で日本軍が戦史に残る素晴らしい勝利を収めていても、それらもまた、戦争の一部に過ぎない。
戦場にいた兵士も一年中、24時間365日戦闘していたわけではなく、銃後にいるのと同じように、飯を喰ったり寝たり戦友と冗談を言ったり慰安所に行っていた時間がある。戦闘だけでなく日常もまた戦争の一面なのだ。
で、国民総力戦の状況下、銃後で兵隊さんの食べる米とか、軍服とか、軍艦や飛行機の部品とか弾丸とか、塹壕を掘るショベルとか作ってる人間がおらんで戦争ができるのかよ。
米軍による日本の市街地への戦略爆撃(民間人虐殺)の論拠は「日本では町工場で兵器の部品を作っている」という理屈だった。つまり、敵から見れば民間人もすべて戦争協力者扱い。だったら当然、銃後にいた女子供の経験も立派な戦争体験だ。そもそも、「戦闘」には勝っても、銃後の女子供がみんな飢え死にすれば国に未来はない。
いかに白人帝国主義からのアジア解放を掲げた大東亜戦争イデオロギーが素晴らしかったとしても、国内の庶民多数を窮乏のドン底に陥らせた時点で、大東亜戦争は失敗だったのだ。自国民も充分に喰わせられなくてアジア解放とか無理。
それこそ、旧ソ連も労働者が国家の主役となる共産主義社会とかナントカ、口先だけはご立派なイデオロギーを掲げながら、自国民を充分に喰わせられなくてそっぽを向かれ、政権が崩壊したではないか。保守を標榜する人々は、だから左翼はお花畑、自分らは現実(経済)が分かってるという顔をしていたはずではなかったか。
逆に言えば、同じ共産独裁国でも中国がしぶとく生きのびているのは、人民に政治的自由はなくとも経済的繁栄だけはもたらした結果だ。おかげで、いつまで経っても人民の多数はちっとも共産党独裁の打倒に起ち上がらない……これもまた悔しいが現実。
そもそも、保守とか愛国とか伝統が大事とか言ってる人間なら、とりあえず最低限、年長者には、年長者というだけで敬意を表するのが、日本の伝統的価値観だったと思うのだが。猪野健治の『評伝 赤尾敏』(isbn:427912017X)によれば、大日本愛国党赤尾敏は、敬老精神のない若手右翼の前で共産党野坂参三を擁護したこともある。

愛国者からはブサヨと呼ばれ、リベラル派からはウヨと呼ばれるのを希望する

以前も述べたが、右翼は意志的な属性ではなく、先天的な属性に話を持ってゆきたがる。右派とは自分が持って生まれた陣営を肯定する、自分が属する国家、民族、人種などこそすぐれているという言説は人に優越感を与える、そこに右派の「魅力」がある。優越感はお金がかからない。
わたしはたまに現在の自民党支持者やネトウヨをバカにしたようなことを書くが、すると「在日発見!」とお約束のチョン呼ばわり受ける場合があり、けっこう不快だ。こう言うと、逆に反差別の左翼から「あなたが在日呼ばわりされて怒るのは、あなたにも差別意識があるからだ」などとドヤ顔されるのだが、この手の意見も不快だ。
要するに、わたしは主張の中身で評価して欲しい(悪い評価でも良い)のに、それをすっ飛ばして民族・国籍という生まれの問題にすり替えられるから、ネトウヨの言う「在日認定」は不快なのだ。
おそらく、彼らが自分たちに敵対的な意見の持ち主をみな在日とか帰化人と見なすのは、「同じ日本人に敵はいない」と思いたがっているからであろう。しかし、わたしはむしろ自分が「日本人成人男性」だからこそネトウヨが嫌いだ。
わたしはあえて自分の属する陣営"にも"批判的な目を向けられるのが「頭が良い」ことだと思ってる。だからどこでも「自分の陣営バンザイ一辺倒」は見ていて恥ずかしい、日本国内で蔓延する「日本スゴイ」ネタは、狭か九州ん中だけで博多ん者が王様気取りしよるごつ恥ずかしかばい(逆に、東京人が外から九州をバカにするなら断固反論するけどな)。
ただし、自分の属する陣営の批判"しか"しないのはまた別の意味で病気。要は現状の問題点に対するバランス感覚なのだ。だから、いつか世界各国で左派政党が優勢になったなら、今度は節操なくこれをネタにする『世界の左翼』という本の企画をやりますよw