電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

終末ボケ

twitterやらでは自民党改憲案がやたら論議になってる。ひょっとすると今の日本は本当に歴史上の大きな岐路に立っているのかも知れない、今より血の気が多かった20代当時の自分なら大いに興奮してそうだが、どうもぴんと来ない。
我が世代(1970年前後生まれ)は、かつて1980年代当時、冷戦下で米ソ核戦争の脅威だの、ノストラダムスの大予言だの、環境汚染による人類滅亡だのをさんざん吹き込まれたものだった。
が、1990年前後には、冷戦体制は崩壊、永遠に死なないかに見えた昭和天皇も亡くなり、永遠に政権の座にいるかに見えた自民党も一度下野して日本新党らの連立内閣になった。
が、それだけの変化がありつつ、べつに自分の生活はたいして変わらないことがわかった。
オウム真理教は強引に世の中を変えようと考えたようだが、クーデターにさえならんショボいテロ事件で終わった。
1999年が来ても当然、世界の終わりなど来なかった。
――そんなわけで、マスコミやネットが派手に騒ごうが「どうせ今さら日本滅亡だの大戦争だのねえだろ」とナメている。果たしてわたしの方がボケてるのか? それとも他の我が同世代(1969年生まれの大阪の彼とか)がはしゃぎ過ぎなのか?

みんな安くて何が悪い?

保守の政治家や大企業の経営者はみんなインフレ待望っぽい。まあデフレでは税収も企業の収益も増えないわけだが、ただの「消費者」として生きる国民の多数は、腹の底ではデフレと円高を消極的に肯定しているのではないか?
なにしろ、デフレと円高のおかげで食品も衣料も石油製品も安く済んでる。今さらインフレになっても物価が上がったら即給与も上がる保証はない。若い世代ほど金をかけないライフスタイルの方がデフォになってるはずではないですかねえ。

日本を中国・韓国みたいにしたい人々

現在の中国・韓国の産業界の歪み(財閥など一部の階層による富の独占)は、薩長藩閥と結びついた御用商人や一部財閥ばかりが栄えた明治期から戦前の日本と同じようなもの。
戦後の日本が「比較的」総中流の平等に近い社会になったのは、敗戦によって占領軍から財閥解体や資本の集中排除が強制された結果。
格差拡大を是とする新自由主義者の主張は「日本を今の中国や韓国みたいにしよう」と言ってるようなものだ。
(そーいや自民党改憲案通りに基本的人権を制限すれば中国に近づくな)
だが考えてみたら「敵に対抗するためみずから敵と同じになる」って、東洋思想に立脚した尊皇攘夷と王政復古を掲げてたはずの明治維新が、西欧型の帝国主義のマネに行きついたのと同じではないか。
なるほど、新自由主義者が「維新」を名乗る政治団体を作ったのは伊達じゃねえw

ブラック企業「日本帝国陸軍株式会社」

新自由主義者を掲げる政治家は格差拡大を必然としてるようだが、悪意ゼロで国民に貧困を強いる指導者といえば東條英機
東條が個人的な私利私欲のない人物だったのは昭和天皇も認めてる。でも、絶対に上司にはならないでほしいタイプ。
なにせ庶民の家のゴミ箱をあさって「この大根はまだ食えるではないか」とか言うんだから。そーいう清貧努力倹約の精神自体は一個人的には同感だが、それを皆に強いるのは現代なら典型的な成り上がりブラック企業の社長の思考。つまり自分が若い頃は残業代ゼロでも何十時間も働いて社長になったから、今のアルバイト従業員にも全員同じことをやらせるという発想。
しかも困るのは、当人がいっさい悪意ゼロってこと。だから反省もできない。
東條英機個人には凄く同情するけどね。

右が革新で左が保守

同じことはすでに誰か言ってるだろうが、中小企業やら個人商店やら昭和的な産業の維持をはかるという点では、今や社民党共産党やらのほうが「保守」。それを破壊する自由競争の新自由主義を掲げる政党のほうが「革新」ということになる。あ、そういや安倍晋三の祖父の岸信介は、戦前の「革新官僚」だった。

怒れる階層は下しか見ない

新自由主義とか自己責任論を支持する人は、従来の左翼の論理じゃ、在日とか同和とか女性とかの、いわゆる「マイノリティ」「弱者」と呼ばれる連中だけが可哀相がられてチヤホヤしてもらえることが妬ましくてしょうがなかったのではないかと思われ……というか正直に言う、1990年代当時の俺がそうだった。
そういう考え方の人間にとって、2001年以降の小泉政権が広めた新自由主義とか自己責任論は福音だった。でも、弱者や貧乏が自己責任となると、今の自分ら自身の身分も「努力が足りないから」となる。それを認めるのはプライドが耐えられないから、結局彼らの怒りは絶対に上には向かわず下にばかり向かうしかなくなる。
かくして最初からの金持ち勝ち組は叩かれない安全圏。世の中よくできてる。

僕らの仲間じゃない何か

以前に仕事で同席した腐女子は、自分らはイケメン美男子同士の耽美な絡みが見たいのであって、男同士の絡みならキモいおっさんでも何でも良いわけではないとやたら力説してた。
同じホモをネタにする人間でも、淫夢厨はキモいおっさん同士の絡みを面白おかしくギャグにして悪ふざけしている人間である。これはどう考えても男だ。
ところが「淫夢厨の正体は腐女子」と言い張る人は少なくない。それはなぜか?
ひとつは、異物は全部一緒くたという発想ではないか。いわば、かつて英国の植民地支配者がインドのイスラム教徒とヒンドゥー教徒を、ともに「変な異教徒」として一緒くたに扱ったような態度(これはセポイの乱の一因になった)。
さらにもうひとつは「ホモの話なんかを楽しむ奴が俺と同じ性別のはずがない」という予断ではないか。
こうした「異物は一緒くた」&「僕の嫌いな××が自分と同じ○○のはずがない」が進むと、ネット上ではお約束のいつもの決めつけ台詞になる。「××は"日本人ではない何か"」っての。
あ、断っておくけど、俺は腐女子淫夢厨も擁護する気はとくにないからね。

なぜわたしはネトウヨに同意しないか

じつは、わたしは政治的な主張としては、改憲、戦後占領体制からの脱却、領土問題で近隣国に絶対譲歩しない態度……などはみな必要と考えている。
ただし、わたしはおこがましくも、自分で自分のことを、後天的な意志と(間違った)努力でこういう人間になった、と強く自負してる人間だ。
が、所謂ネトウヨは個々人の後天的努力をいっさい無視して生まれだけで全人格を否定する。世の犯罪者や失礼な奴は、そいつ個人の後天的な悪意によってそうであるのではなく、在日だから、ということにする。裏返せば、日本人に生まれた自分は日本人であるだけで(何の努力もしてなくても)エラいと考える。
まるで「後天的な意志と努力で何かがしたくて上京して学校に通ったり本を読んだりしても、たまたま東京生まれというだけのニートに永遠に勝てない」みたいな理屈じゃないか。そりゃ嫌だよ、べつに俺が在日でなくても。