電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

蚊帳の外から偉そうに思うこと

それにしても、実家に電話して地元の親類縁故者の近況雰囲気を聞くと、わたしの半引きこもりライフとは別の意味で、ますます時間が止まってる感を強くする。
血縁とはいえ個人のプライバシーが関わるから詳しくは書かないが、親類の間じゃお荷物となってる某が、相変わらず甥の某にたかっているとか、京都の叔父ははるばる遠くから心配してるのに、地元に住んでるお前は何だと言われたとか(京都の叔父は、もはや九州の実家から遠く離れた土地に自分の生活基盤を持ってて、当事者意識が無いからこそ、たまに優しい顔もできる立場なのであって、お荷物が身近にいては、やってられないだろう)、たかられてる某の奥さんは、実は、亭主が責められないよう、渋々こっそりたかってる某に小使いを渡してるとか……そんな話が尽きない。ほとんど、中上の小説に出てくる元パンパンの「モン」の周囲の人間関係とかとあまり変わらん気がする。
オイ、コレ本当に21世紀の話か? 電話を終えたあと、うんざりしながら、汚れた布団に潜ってイヤホンをはめて、深夜アニメの『攻殻機動隊SAC』を観て現実逃避しようとした。
――いや、田舎の世間というのは、こういうのの方が自然状態なのだ。半径10メートルしか世間が無いし、瑣末な親類の儀礼を欠かすとすぐ人でなし扱いにされる――というか、偉そうにこんなことを書いているわたしも、実家に居たら一族郎党のお荷物だったろう。
「俺も『大地から切り離された民』だな」なんて言ってみても、うっかりそれを自覚してしまっている身には、ちっとも詩的でも格好よくもないのである。