電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

補足の蛇足:百合萌え腐男子宣伝大臣

そういえば先日ワイマル文化とホモソーシャルの話を書いたが、それ関連でとっておきのバカネタをひとつ。
映画好きだったナチス宣伝部長ゲッベルスは、かつて『制服の処女』を大絶賛している(これは、平井正ゲッベルス』(中公新書)に引用された、彼の1932年2月2日の日記に出てくる)。おお、ゲッベルスきゅんは隠れて『マリみて』を読むような百合萌え腐男子だったのか!?
制服の処女』というのは、当時の寄宿生女子高を舞台に、生徒たちの憧れのお姉様先生が意地悪校長らに苛められるので、生徒たちが立ち上がる、というお話である。つまりどちらかといえばサヨッキーな内容の筈である。が、ゲッベルスはこの映画に「萌え」いや多分「燃え」た。なぜか? 別に、以前「薔薇様は非民主的」と書いたように、擬似同性愛は常にドメスティックでむしろウヨッキーな耽美志向につながるとか、別にそんな意味でもない。
ヨーゼフ・パウルゲッベルスは、生まれつき片脚が不自由で、徴兵検査に落ちて(WW1の)戦場に行けなかった男である。が、そんな彼は、それゆえにか、ナチ党内で人一倍「大衆運動」の集団騒乱の昂揚に憧れたらしい(彼は当初、ナチ党内左派と呼ばれたシュトラッサーの側についていた)。ゲッベルスはこの映画を観て、清純な乙女たちが、彼女らのカリスマのため献身的に決起する有様に感動したらしい。彼が『メトロポリス』のフリッツ・ラングを口説いてナチのプロパガンダ映画を撮らせようとしたのも、クライマックスの群集暴動シーンが気に入ったからに違いあるまい。
それにしても、自分は軍隊に入ったこともなく、入っても到底勤まりそうになく、体育会系コンプレックスで、それゆえ人一倍「劣等民族」排訴の口先筆鋒ばかりは鋭かった百合萌え腐男子……そんな彼に、何やらあんまり歴史の向こうの遠い昔の赤の他人とは思えないなあ、などという苦笑を浮かべてしまうのは、わたしだけであろうか。