電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

国はなくても民は生きる

天皇反戦・日本 浅羽通明同時代論集 治国平天下篇』(isbn:4344013425)の最後のほうで興味深い紹介をされていた、小松左京日本沈没 第二部』(小学館)を読む。
小松左京は本来「日本沈没」より、この「日本民族漂流記」がやりたかったという。
祖国を失った日本人が、東南アジアや旧ソ連などの移住先でもそれなりの有能さを示しつつ、しかしそれゆえ現地民と対等に接することができず、結局、やっかまれて各地で衝突が起きるという展開は実に嫌なリアル感がある。
ただし、なぜか「祖国がなくなった場合の日本のナショナリズム」を語ろうとしているのに、天皇についてはいっさい触れていない(矢作俊彦『あ・じゃぱん』はこれを補完しているといえる)
かつて戦時中、多くの兵士や一般人が「天皇陛下万歳」と唱えて死んだが、それはただ昭和天皇一個人を指すだけでなく、自分と同じく「天皇陛下万歳」と唱えて死ぬ圧倒的多数の「日本人」の絆、帰属意識の確認行為であったはずだ。
1931年生まれの小松左京がこれを理解してないはずはないが、実際の執筆を行なった1951年生まれの谷甲州にそのへんを吹き込まなかったのだろうか。
本作品のテーマは、イスラエルを再建国する前のユダヤ人のように、コスモポリタン化することで日本人が生き延びるシミュレーションであるらしい。
余談ながら、しばし前、古くからの畏友がアメリカに渡ってニューヨークに住みはじめたが、現地ではチャイニーズもコリアンもなく、「アジア系」のひとくくりでけっこう仲良くしているというのが興味深かった。帰属する土地を離れた時、やっと対等になれるという例か。