電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

流行にうとい人間なりの言い訳

だが、この際はっきり述べておくと、わたしは惑星開発委員会の『PLANETS』に寄稿してはいるが、宇野氏とは何から何まで見解が一致して団結しているわけではない。
わたしとしては、00年代現在というのは、それこそ、テクノポップも四畳半フォークもパンクもヒップホップも同時にあり、という感じに、「あれもあり、また同時にこれもあり」という状況で、90年代的セカイ系的なものも、00年代的決断主義的なものも、さらにもっと古い時代の感性も、そもそもそんな時代性など意識すらしてない一般人の感性も同時並列的に並存していて、「新しい(=正しい・エラい)/古い(=悪・ダメ)」などという単純な二元論は成立しないのではないか、と考えている。
「新しい(=正しい・エラい)/古い(=悪・ダメ)」図式が有効だったのは、60年代、70年代、80年代…と、次々に新たな流行潮流が生み出される市場の成長期が続いていたからだろう。しかし、今や、サブカルチャー市場は成熟しきって飽和しかけているのではないか、と感じる。
末端の消費者には「エヴァンゲリオン以降のセカイ系的(90年代的)作品」と「デスノートなどの決断主義的(00年代的)作品」を、両方同時に楽しんで消費していて、そのことにたいして矛盾意識を抱いていないという人だって多数いてもおかしくはないだろう。
しかし、それこそメタ批評的に(w)自分で自分にツッコミを入れると、こういう考え方は、最新物を追うことにかけては不勉強な人間には都合良い。
はっきりいって、わたしは最新物のサブカルチャーには不勉強だ。ピンポイントでたまたま目について気に入ったようなものしか追っていない。まあそこは、最先端を論じるのが担当の人と、そうでない人と、人によって役割分担の違いがある、ということで、優劣つけなくてよいと思っている(そう考えると自分が楽なので……)