電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

余談(わたしのことがムカつく方へ)

……ところで、先日もこの調子で一個人的な意見をブログに書き殴ってたら「なんでこんな奴がプロのライターで喰えてるんだ?」というお怒りのご意見がありました。
いえ、わたしはそんなエラい人じゃないので"こんな奴"と憤慨される価値もありません。
このブログは私的な思いつきを趣味で書いてるだけです。仕事の文章は別物です。
(一例を挙げると、少し前には、図書館に入りびたってまじめな仏教と神道の入門書(isbn:4862980805)の仕事をしました。当然いい加減なことは書いてません。)
ミもフタもなくいうと、ライターは頭の出来や文章力だけが最重視されるとは限りません。
たとえ能力があっても、信用がない人は仕事が続けられません。
信用とは、たとえば、版元や編集者の意図の枠内で文字量と締め切りを必ずきっちりと守った原稿を書く、無理そうなら途中で正直に言う、原稿内容の代案や代理の書き手も可能な限り自分で探す、真夏の暑い中何度もインタビューに行く、本来ほかの人に依頼するはずだった原稿の穴埋めをするため、自分から出版社に足を運んでその場で編集者の帰宅に間に合うよう書き上げる、等々といったことを何年も積み重ねることで獲得されます。
また、出版の仕事は最初の企画書どおりに行くとは限らず、原稿も一発でOKとは限りません。執筆中に「この記事は取材してもネタがない」「この記事はこっちと内容がかぶる」などの理由で、当初の台割から構成やページ割が変わることが多々あります。
そんなとき、すぐに編集者の意図の枠内で原稿を書き直したり、他の記事とかの代案を出したりできるフレキシブルな対応力が必要となるわけです。
当方は多分それらの雑務能力がかろうじて及第点なのでしょう(頭の出来と文章力だけで勝負する試みは、懸賞論文などで失敗をくり返しました……それで学習もしましたが)。
――以上は一例ですが、他の仕事でも、デザイナーや校正者から、弁護士やコンサルタントまで、フリーランスの職業は、よほどの天才以外は、直接的な才能(画力や法律の知識など)だけで喰えてるわけではなく、信用を得られるような雑務の積み重ねで成り立っているものではないかと思います。