電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

心の中までの更生とは……

しかし、刑罰制度ってのは真面目に考えれば不思議なもので、どうせ死刑にしてしまう犯罪者に対しても、そいつが心の中からその罪を悔いてから死ぬことを求める。
それは、法に携わる者にとって重要なのは、ただ物理的肉体的な処罰を行うことより、殺人行為が罪であるという社会正義の概念が守られることだからだろう(法務省の英語名は「ミニストリィ オブ ジャスティス」である。意訳すれば「正義省」なのだ!)
殺人行為自体より、殺人行為をタブーを思わぬ思考(を持つ人間)こそが恐るべきものなわけだ。
しかし、ここでミもフタもないことを考えてみる。じゃあなんで殺人は悪いのか? 結局それは、ある意味では、それが社会の、共同体の通念になってるから、としか言えないのではないか? 実際、条件つきで共同体の部外者なら殺してオッケー、という時代、社会もかつてあった。慣習的通念として殺人が肯定されるような特殊な共同体もありえる、カルト教団、テロリスト集団など……
……こうして考えると、我々が当然のことと思ってる社会慣習ってのも、一種の「洗脳」じゃないか? というアブナイ考えに行き着く。急いで付け加えるが、洗脳といっても、歴史的な普遍性や必然のあるものはちゃんと定着するし、真っ当な文化といえる、その必然性やら普遍性が著しく偏ってるのがカルト教団やテロリスト集団ということだろう。