電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

うっかり「資本党」を作りかねない日本人?

日本で「インディーズ資本主義」というと、わたしが思い浮かべるトラウマ的な最悪の姿は、MLM、ネットワークビジネス、いわゆるマルチ商法である。
共産主義だから共産党、はあっても、資本主義だから資本党、は無い。そりゃそうだ、資本主義は別に「主義」ではないと柄谷行人も言ってる。市場経済はただの自然状態である。
宗教や右翼や左翼は、それぞれ「教祖、神様」とか「国家、民族、天皇」とか「革命、反権力、平等社会」とかいう、自分自身以外のものへの滅私奉公を求め、それはロマンを伴いつつも、往々にしてカルト的な狂信に転じる。が、資本主義にはそんなロマンもない代わり、滅私奉公も求めない、なぜならただ個々人の欲望任せだから……とわたしも思ってた。そしたら「資本主義バンザイ! 資本主義を謳歌しないあなたはなんてつまらないくだらない人だろう」と迫るカルトに出っくわした、それがマルチ商法だったのである!
以前も述べたが、わたしは、自立的なエゴイズム個人主義が発達したアメリカ本国のアムウェイは案外さばさばして、日本のMLMの気持悪さは日本的世間と関係あるのではないか? という説を取る。
無政府資本主義に党などナンセンス極まるが、キリスト教的な個々人の契約の観念にも乏しく「寄らば大樹の陰」と群れ、共同体に属することで安心を得たがる志向の日本人は、うっかりすると本気で「無政府資本主義党」を作ってファシズム的陶酔を求めるかも知れない……って、ギャグじゃねえぞ!激烈マジ!! 自ら孤独の滞欧生活を送った(その「覚悟」はエラいが)フランス帰りの哲学者笠井先生は、それを視野に入れてるんだろうか?
1991年の別冊宝島『巨人列伝』の大杉栄論考では、笠井潔の集合観念ユートピア陶酔を(かつて自分がそれに惹かれたからこそ)批判した浅羽氏が、それ以後とそれ以前の笠井の仕事を丹念に見直して再評価した態度は、一度批判した相手を気軽に見くびり続け一切再考しないよりは誠実だと思うが、わたし個人はこの土壇場で、実効性に疑問を覚える…。
――と、書くと、なんだか元気の出ない結論になってしまうが、小林よしのりを「カリスマ」に煽り挙げておいて、薬害エイズ運動があの末路に陥った後すかさず『脱正義論』を書いた浅羽は、そんなことはあらかじめわかって、先手を打って考えてそうな気もする、そう、衣食足りてなお思想に群れることを求めてしまう人々を束ねた「ファシズムの善用」を(笑)