電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「ここではないどっか」に繋がってる鉄路

昔から漠然と思ってたが、鉄道、線路、ってのは、民俗学的には、どこかに定住してる人間にとって「ここをたどってくとどこか外の土地に繋がってる」という象徴性を持つ物なんじゃないかな、とか……(素人考えなんで限りなくいい加減である)
学生時代に読んだ、赤坂憲雄の『異人論序説』では、せいぜい半径30メートルが自分にとっての「世界」だったであろう近代以前の人間にとっては、橋(→端)とか坂(→境)などは、そのものずばり世界境界線として認識されてたという意味のことが書いてあった。
昨年読んだ矢作俊彦の『ららら科學の子』でも、主人公が追いやられた中国南部の辺境の、鉄道も電線も通ってないド田舎村では、村の外周を流れるほんの小さな川が、本当に世界境界線のように描かれていた。
交通機関が発達してなかったかつての時代には、ド田舎に住んでて、例えば「江戸」とか「京」とかいう遠くにある都の存在を知ってはいても、具体的に想像も認識も出来なかった人が多くいたと思われる。
別に普通の地面を歩いてても、方角さえ合ってりゃ目的地には着く。が、鉄道の線路は普通の地面の上に、人工的に明確にある点とある点を結ぶ線を引いているわけで、そういうものが初めて普及し始めた当時は、「半径30メートルが自分にとっての世界」だった多数の常民にとっては、どんな風に思われたんだろうか、とか考え出すと妄想は尽きない。