電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

ロニーは50年代からのタイムトラベラー

町山智浩氏が死去したレーガン大統領についていろいろ興味深いことを書いてる。
で、たぶんこのことも誰かが書いてるんじゃないかと思うが、私的覚え書きメモのようについでに記しておこう。
ヴェトナム戦争の傷を引きずった80年代初頭に登場したレーガン政権の保守政策というのは、50年代へのノスタルジーに支えられていたという(何やら、バブル崩壊の傷を引きずった昨今の日本の昭和30年代ノスタルジーと似ている部分がある)。
アメリカ白人中流階級保守層にとっての50年代は黄金時代なのだそうだ。当時は冷戦時代で、アメリカは能天気に「世界最強の国家」を自負し、信じていられた。が、60〜70年代になると、ヒッピームーブメントや黒人などの公民権運動が起き、ベトナム戦争は泥沼化し、映画の『イージー・ライダー』とかに描かれたような「病めるアメリカ」が目に付くようになる。多くの白人中流階級保守層にとって、それは直視したくない現実だった。
レーガンの唱えた家族道徳などの復古的価値観というのは、つまり60、70年代ヒッピームーブメントのフリーセックス礼賛への反動、健全化、ということだったわけである。
なんか、レーガンは50年代のB級戦争映画俳優でその名が知られていたらしい。
80年代、日本でもちょっと50年代アメリカ文化が「オールディーズ」とか言われて流行したけど、当時のアメリカ本国での50年代回顧を象徴するのが、文字通り80年代から50年代にタイムスリップする少年が主人公の『バック トゥ ザ フューチャー』(1985)だと言われる。
――って、以上の話どこで知ったかというと、かなり以前に、まさに町山氏の文章で読んだんじゃないか、という気がするが、出展を忘れている(←おいおい)
ちなみに、80年代の日本の若者が50年代末〜60年代初頭にタイムスリップする、小林信彦の小説『イエスタディ ワンスモア』は、当時『バック トゥ ザ フューチャー』との類似が指摘されたらしいが、作品成立の背景思想がまったく異なっていると考えるべきだろう。
しっかし「50年代の夢よもう一度」で登場したレーガンとその後を継いだブッシュ(父)に対し、90年代に出てきたクリントンが、当初ケネディを引き合いに「60年代の夢よもう一度」というイメージで売ったのは、なんとも単純な作用反作用の法則だったなあ。