電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

陰湿な差別や排除をなくすには強権しかない?

皮肉な話、毛沢東周恩来も健在で、中国共産党の独裁権力が末端まで行き届いていた時代の方が、公式的には日中友好ムードが(よそよそしい仮面のものであれ)維持されてた。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20040807

結局、かつての「米帝国主義は日中共同の敵!」「米帝は張り子の虎!」というのも「軍国主義者と人民は分けて考える。日本人民も被害者」「一衣帯水の友好」というのも、要は北京政府の指示の下、上から下への鉄のごとき硬い指揮命令に従ってのものだった。

しかし、今回政府が黙認したか業を煮やしているのかそれとも扇動したのか真相は分からないが、あの愛国・反日の熱狂はきっかけはべつにして中国民衆が「自前」で大きくしたものだ。

わたしはこの発言に実に納得するんだが、同じような論点は産経新聞にも書いてあった。

スポーツニュース - 8月7日(土)3時3分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040807-00000000-san-spo
 卓球の元世界チャンピオン、故荻村伊知朗氏に聞いた話では、中国での試合で、中国人観客の自国選手への大声援に悩まされたが、あるとき公平な拍手に変わって驚いたという。ピンポン外交を発案した周恩来首相が「友好第一、試合第二」のスローガンを打ち出した結果だったそうだ。
 中国指導部が友好を外交の武器にし、国民末端まで統制できた文化大革命時代の話だ。いま中国は国益追求を外交の基本に置き、スポーツも国威発揚の手段になった。であれば、自国チームを熱烈に応援することの何がいけないのか、とサポーターは言うだろう。

ユーゴスラヴィアでも共産党チトー政権のタガが外れた途端に民族対立問題が噴出した。でも、だから共産政権は良かったわけじゃなく、共産党の一元的な独裁で民族問題が(実際は戦後ずっと棚上げのまま)封じ込められてただけなんだろうが。
前にも書いたが、日本で、いまだ維新元勲の政権の名残を引きずってた日露戦争第一次大戦(青島ドイツ要塞攻略)時には、ロシア、ドイツの各捕虜を政府の方針で寛大に扱ってたが、それが良くも悪くも国民の軍隊の時代になってきた昭和の大東亜戦争では、捕虜への憎悪が剥き出しになった、という構造と、似たような側面があるかも知れない。
しかし実際、だからって今さら強権独裁の復権を願うのはお門違いだろうし、一度方向のついた「民衆の自発的意志」とやらは、どうにもならんものなのだろう。