電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

信じるものを喪った時代

梶原一騎が生まれたのは昭和11年(1936年)終戦時は9歳のはずだ。
今年、映画『男たちの大和』記者会見で、亡き梶原と同年輩の仲代達矢は、かつての自分は典型的な軍国少年だったが、昭和20年8月15日を境に大人たちは手のひらを返したように変わった、裏切られたような、大人は信じられないという思いが刷り込まれた、という意味の事を語った。
確かに、滅私奉公的自己犠牲は戦前の日本の美徳だった。が、この国では、敗戦を機に、盲目的忠誠心はイケナイということになった。しかし「場」「共同体」「世間」への強固な結束心だけは残った……いや、元から、この国では、特定個人への忠誠心など本当にほんの一部の自ら破滅的な人間にしかなく、常に、ただ「場」「共同体」「世間」に忠実に従うだけで世の中は回っていたのかも知れぬ。
右翼的だの戦前的メンタリティと言われる梶原一騎だが、彼の作品に「場」「共同体」「世間」への協調は一ミリもない。そう、梶原ヒーローの自己犠牲は、矢吹丈伊達直人もみな「みんな」のためではなく(だから、認められること、見返りを求めない)自ら好き好んで、「己の道」のため身を投じたものである。
過去何度も繰り返し書いたことだが、戦後日本のヒーローは、昭和30年代まで、『月光仮面』も『七色仮面』も主題歌に歌われる通り「おじさん」で、でなければ『鉄人28号』の正太郎君も『鉄腕アトム』のアトムも「子供」だった。
子供の漫画やアニメのヒヒーローに、明らかな形で、成長しゆく「青年」「若者」が登場するのは、実は、右にGSアイドル、左に全共闘の1960年代末、組織や共同体などクソクラエだが、己の道ため自らを鍛える梶原一騎のスポ恨ヒーロー以後だったと言うべきだろう(一峰大二をはじめとするそれまでの「魔球」系野球漫画ヒーローと、巨人軍クソクラエな『侍ジャイアンツ』の番場蛮の違いがそれを雄弁に物語っている)。
梶原一騎ヒーローのような、こういう、もはや信じるものなき者たちの自己犠牲的破滅道、といえば『仁義なき戦い 広島死闘編』の山中をはじめ、笠原和夫脚本作品にも通じる要素だ。やはりそこには、敗戦による価値の変転、一見、戦前的右翼的メンタリティのようで、実は強固な個人主義が漂っている。
11月25日は三島由紀夫の命日なので、去年も一昨年もそのことを書いたが、戦争で「悠久の大義のために死ぬ」ことを望みながら果たせず、戦後を無気力な余生のように過ごした三島は、天皇陛下万歳を唱えて死んだ英霊を賛えろと言う一方、実は、生き延びた現実の人間昭和天皇個人には敬愛心より嫌悪感が強かったフシがある。
そんな三島は『文化防衛論』で、結局、保守すべきなのは実体としての日本文化や天皇じゃなく、移ろいながら一貫性を保持してるものだ、という意味のことを書いてるのだが、それというのは、乱暴に言えば、もう対象は現実の天皇でなくても何でもいい、とにかく自己犠牲的精神を持つことなんだ、と言ってるように読めなくもない。
――で、無理やりまとめると、70年代というのは、そういう個人主義的自己犠牲ヒロイズムが最後の花を散らしたような時代だった。80年代に入ると「みんな」が一緒に平和で豊かになって何が悪い、負け犬は自己責任、という時代になった。一見平和なようで、生存競争の残酷さが隠蔽された、もっと嫌味な時代――『Zガンダム』は、一面でそんな時代に対する反発を内包して作られた作品だった。その主人公カミーユが、かつてのような個人主義的自己犠牲ヒロイズムの失敗作に終わったのは、考えてみると必然だったのかも知れない。