電氣アジール日録

自称売文プロ(レタリアート)葦原骸吉(佐藤賢二)のブログ。過去の仕事の一部は「B級保存版」に再録。

「はしたない」の精神

マナーとか恥の意識というのは不文律なんだから究極的には合理性などないこともある、が、昔からずっとそれでやってきたんだし、それで仕方ないということも多いだろう。
たとえばの話、女性が強姦されるというのは、ひたすら可哀想で悲惨な話である。が、刑務所でのホモレイプなど、男が強姦されたとなると、女性が強姦された場合と同様、可哀想で悲惨な話とかいう話も確かに出るだろうが、それだけでなく「男なのに強姦されてんのかよw」という笑い話になってしまう側面がある。
これを「男女不平等!」と言って怒っても、仕方ない気がする。従来、性犯罪被害者といえば女性、性犯罪加害者といえば男性、というのが一般論という前提あってのことだし。
恋愛や性的な問題というのは、たいていプライベート領域に含まれる。日本では長い間、男性は成人後、仕事という公的領域と家庭というプライベート領域を持つが、女性は成人して結婚するともっぱら家にいて外の公的な場に余り出ないのが通例だったためか、女性がプライベート領域の問題を愚痴るのはよくあることだが、男がプライベート領域の問題を愚痴るのはあまりないことで、ゆえにみっともない、という慣習があるようだ。
(そういや、坂口安吾も『青春論』で、若い頃美しかった老婆が往時を思い出して嘆くという話はサマになっても、男でそれをやったら喜劇にしかならんと書いてたなあ…)
さて、行為、行動が恥かしいことである「みっともない」は他人に対しても使われるが、動機、欲求が浅ましいことをさす「はしたない」は、もっぱら自分とその身内に向けて使う謹慎的自制の言葉だったように思う。昨今、一部エコロジストが「もったいない」という語を広めているが、日本古来のストイシズムを保守したい陣営は、ひとつ「はしたない」を普及させて欲しいものだ。
プライベート領域(特に消費にまつわる問題)は、ある程度まで自己責任が基本であろう。禁煙ファシズムからの流れで、自分から煙草を買っておいて、癌になったからといって煙草会社を訴える訴訟などを起こしている人間がいる。これは「みっともない」というより「はしたない」類に見える。
ただし、痴漢冤罪問題などはさすがにわたしも、みっともないとかはしたないとは思わない。何しろ、無実でも痴漢容疑にさせられると、実験判決が出ず容疑だけで社会的名誉が大幅に毀損される。もとからあるものが(誤認のせいで)不当に侵害される危機となれば、権利主張するのも正当とは思えるからだ。